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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<title>SMブーム</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;110.135.21.34: /* 「第3次SMブーム（第2次SMブーム後期）」 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''SMブーム'''（えすえむぶーむ）とは、日本において雑誌（[[SM誌]]）、映画（[[にっかつロマンポルノ]]）ビデオ（[[アダルトビデオ]]）で、[[サド]]の男性が[[マゾ]]の女性を性的に責めることが流行した一連のムーブメントのこと。第1次SMブーム、第2次SMブーム、第3次SMブーム（第2次SMブーム後期）の3つに分類される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「世界に冠たるSM大国・日本」===&lt;br /&gt;
今日、日本はドイツと並び“世界に冠たるSM大国”となっている。これは[[江戸時代]]以降、特に[[明治時代]]以降、日本人の国民性が“陰湿”で“男尊女卑”となったため、日本にはもともと“SMを受け容れる土壌があった”ことが大きな原因である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「日活のポルノ転進」と「第1次SMブーム」===&lt;br /&gt;
[[1971年]]、日本の“映画大手5社”の一つである[[日活]]が、経営不振により[[ポルノ]]映画製作に路線転換した。これが[[にっかつロマンポルノ]]と呼ばれる[[ピンク映画]]である。SM誌の『[[SMセレクト]]』と『[[SMファン]]』が創刊された。翌[[1972年]]、[[官能作家]]・[[団鬼六]]が『SMキング』を創刊。同年、『[[SMフロンティア]]』、『[[SMコレクター]]』も創刊され、SM誌が2年間で5種類も創刊された。これを第1次[[SMブーム]]という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
団鬼六は“にっかつの巨匠（原作者）”となり、“初代SMの女王”[[谷ナオミ]]と“公私にわたる名パートナー”となって“にっかつのドル箱”となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「女子大生ブーム、アダルトビデオ・ブーム」と「第2次SMブーム」===&lt;br /&gt;
[[1979年]]、『[[SMスナイパー]]』が創刊された。&lt;br /&gt;
[[1980年]]、マゾ女優の[[谷ナオミ]]が一般男性と結婚しSM女優を引退した（のちSMサークルを主催）。団鬼六は“2代目SMの女王”として[[麻吹淳子]]を起用した。麻吹淳子は日活ポルノ美人コンテスト第3位という経歴の持ち主で、病気で引退するまでの約1年間に13本のSM映画に主演した。活動期間は短かったが、大いに活躍したSM女優であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1981年]]、『[[SMマニア]]』、『[[SMスピリット]]』、『[[SMクラブ]]』が創刊された。第2次SMブームである。さらに[[1983年]]、『[[SM秘小説]]』が創刊された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時は[[女子大生ブーム]]の最盛期に当たり、またアダルトビデオが誕生して[[アダルトビデオ・ブーム]]も起こっていたため、多くの[[女子大生]]がSMビデオに出演した。SM誌でSMモデルになった女子大生も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
麻吹淳子の引退を受けて1983年に“3代目SMの女王”になったのが、金沢の老舗のお嬢様、モデルの[[高倉美貴]]である。彼女は団鬼六の粘り強い説得に根負けし、SM女優となった。高倉美貴も谷ナオミ・麻吹淳子と同様に、団鬼六の公私にわたるパートナーとなって活躍した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「第3次SMブーム（第2次SMブーム後期）」===&lt;br /&gt;
[[1984年]]、素人女優・[[末次富士子]]らが日活のSM映画で活躍し、SMが[[ワイドショー]]で取り上げられるまでになった。翌[[1985年]]、AVに圧倒されていた日活が起死回生を賭け、“本番セックスでの撮影（[[ハメ撮り]]）”を導入した。これを象徴する作品が、[[木築沙絵子]]主演のSM映画『[[箱の中の女]]』である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日活は本番映画でAVに対抗しようとした。しかしその経営努力も空しく、[[1988年]]に倒産した。一方AVでは、[[アートビデオ]]がSMビデオの大御所として業界をリードした（主演男優は怪優・[[黒田透]]）。この頃がSMビデオの最盛期である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1986年]]、AVで[[横浜国大]]の現役女子大生・[[黒木香]]がSM女優としてデビューし、“元祖高学歴AV女優”および“元祖AVタレント”として一世を風靡した。黒木香らの活躍により、SMは完全にお茶の間の中に入り込むようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃SM誌では、SMが“ファッション化”され“大衆化”する一方で、SM小説がマンネリ化する、SM写真に[[剃毛]]をしていないSMモデルが登場するなど、SMの“質の低下”が目立つようになった。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>110.135.21.34</name></author>	</entry>

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		<summary type="html">&lt;p&gt;110.135.21.34: /* 「女子大生ブーム、アダルトビデオ・ブーム」と「第2次SMブーム」 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''SMブーム'''（えすえむぶーむ）とは、日本において雑誌（[[SM誌]]）、映画（[[にっかつロマンポルノ]]）ビデオ（[[アダルトビデオ]]）で、[[サド]]の男性が[[マゾ]]の女性を性的に責めることが流行した一連のムーブメントのこと。第1次SMブーム、第2次SMブーム、第3次SMブーム（第2次SMブーム後期）の3つに分類される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「世界に冠たるSM大国・日本」===&lt;br /&gt;
今日、日本はドイツと並び“世界に冠たるSM大国”となっている。これは[[江戸時代]]以降、特に[[明治時代]]以降、日本人の国民性が“陰湿”で“男尊女卑”となったため、日本にはもともと“SMを受け容れる土壌があった”ことが大きな原因である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「日活のポルノ転進」と「第1次SMブーム」===&lt;br /&gt;
[[1971年]]、日本の“映画大手5社”の一つである[[日活]]が、経営不振により[[ポルノ]]映画製作に路線転換した。これが[[にっかつロマンポルノ]]と呼ばれる[[ピンク映画]]である。SM誌の『[[SMセレクト]]』と『[[SMファン]]』が創刊された。翌[[1972年]]、[[官能作家]]・[[団鬼六]]が『SMキング』を創刊。同年、『[[SMフロンティア]]』、『[[SMコレクター]]』も創刊され、SM誌が2年間で5種類も創刊された。これを第1次[[SMブーム]]という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
団鬼六は“にっかつの巨匠（原作者）”となり、“初代SMの女王”[[谷ナオミ]]と“公私にわたる名パートナー”となって“にっかつのドル箱”となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「女子大生ブーム、アダルトビデオ・ブーム」と「第2次SMブーム」===&lt;br /&gt;
[[1979年]]、『[[SMスナイパー]]』が創刊された。&lt;br /&gt;
[[1980年]]、マゾ女優の[[谷ナオミ]]が一般男性と結婚しSM女優を引退した（のちSMサークルを主催）。団鬼六は“2代目SMの女王”として[[麻吹淳子]]を起用した。麻吹淳子は日活ポルノ美人コンテスト第3位という経歴の持ち主で、病気で引退するまでの約1年間に13本のSM映画に主演した。活動期間は短かったが、大いに活躍したSM女優であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1981年]]、『[[SMマニア]]』、『[[SMスピリット]]』、『[[SMクラブ]]』が創刊された。第2次SMブームである。さらに[[1983年]]、『[[SM秘小説]]』が創刊された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時は[[女子大生ブーム]]の最盛期に当たり、またアダルトビデオが誕生して[[アダルトビデオ・ブーム]]も起こっていたため、多くの[[女子大生]]がSMビデオに出演した。SM誌でSMモデルになった女子大生も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
麻吹淳子の引退を受けて1983年に“3代目SMの女王”になったのが、金沢の老舗のお嬢様、モデルの[[高倉美貴]]である。彼女は団鬼六の粘り強い説得に根負けし、SM女優となった。高倉美貴も谷ナオミ・麻吹淳子と同様に、団鬼六の公私にわたるパートナーとなって活躍した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「第3次SMブーム（第2次SMブーム後期）」===&lt;br /&gt;
[[1984年]]、素人女優・[[末次富士子]]らが日活のSM映画で活躍し、SMが[[ワイドショー]]で取り上げられるまでになった。翌[[1985年]]、AVに圧倒されていた日活が起死回生を賭け、“本番セックスでの撮影（[[ハメ撮り]]）”を導入した。これを象徴する作品が、[[木築沙絵子]]主演のSM映画『[[箱の中の女]]』である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日活は本番映画でAVに対抗しようとした。しかしその経営努力も空しく、[[1988年]]に倒産した。一方AVでは、[[アートビデオ]]がSMビデオの大御所として業界をリードした（主演男優は怪優・[[黒田透]]）。この頃がSMビデオの最盛期である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1986年]]、AVで[[横浜国大]]の現役女子大生・[[黒木香]]がSM女優としてデビューし、“元祖高学歴AV女優”および“元祖AVタレント”として一世を風靡した。黒木香らの活躍により、SMは完全にお茶の間の中に入り込むようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃SM誌では、SMが“ファッション化”され“大衆化”する一方で、SMの“質の低下”が目立つようになった。&lt;/div&gt;</summary>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;110.135.21.34: /* 「女子大生ブーム、アダルトビデオ・ブーム」と「第2次SMブーム」 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''SMブーム'''（えすえむぶーむ）とは、日本において雑誌（[[SM誌]]）、映画（[[にっかつロマンポルノ]]）ビデオ（[[アダルトビデオ]]）で、[[サド]]の男性が[[マゾ]]の女性を性的に責めることが流行した一連のムーブメントのこと。第1次SMブーム、第2次SMブーム、第3次SMブーム（第2次SMブーム後期）の3つに分類される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「世界に冠たるSM大国・日本」===&lt;br /&gt;
今日、日本はドイツと並び“世界に冠たるSM大国”となっている。これは[[江戸時代]]以降、特に[[明治時代]]以降、日本人の国民性が“陰湿”で“男尊女卑”となったため、日本にはもともと“SMを受け容れる土壌があった”ことが大きな原因である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「日活のポルノ転進」と「第1次SMブーム」===&lt;br /&gt;
[[1971年]]、日本の“映画大手5社”の一つである[[日活]]が、経営不振により[[ポルノ]]映画製作に路線転換した。これが[[にっかつロマンポルノ]]と呼ばれる[[ピンク映画]]である。SM誌の『[[SMセレクト]]』と『[[SMファン]]』が創刊された。翌[[1972年]]、[[官能作家]]・[[団鬼六]]が『SMキング』を創刊。同年、『[[SMフロンティア]]』、『[[SMコレクター]]』も創刊され、SM誌が2年間で5種類も創刊された。これを第1次[[SMブーム]]という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
団鬼六は“にっかつの巨匠（原作者）”となり、“初代SMの女王”[[谷ナオミ]]と“公私にわたる名パートナー”となって“にっかつのドル箱”となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「女子大生ブーム、アダルトビデオ・ブーム」と「第2次SMブーム」===&lt;br /&gt;
[[1979年]]、『[[SMスナイパー]]』が創刊された。&lt;br /&gt;
[[1980年]]、マゾ女優の[[谷ナオミ]]が一般男性と結婚しSM女優を引退した（のちSMサークルを主催）。団鬼六は“2代目SMの女王”として[[麻吹淳子]]を起用した。麻吹淳子は日活ポルノ美人コンテスト第3位という経歴の持ち主で、病気で引退するまでの約1年間に13本のSM映画に主演した。活動期間は短かったが、大いに活躍したSM女優であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1981年]]、『[[SMマニア]]』『[[SMスピリット]]』、『[[SMクラブ]]』が創刊された。第2次SMブームである。さらに[[1983年]]、『[[SM秘小説]]』が創刊された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時は[[女子大生ブーム]]の最盛期に当たり、またアダルトビデオが誕生して[[アダルトビデオ・ブーム]]も起こっていたため、多くの[[女子大生]]がSMビデオに出演した。SM誌でSMモデルになった女子大生も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
麻吹淳子の引退を受けて1983年に“3代目SMの女王”になったのが、金沢の老舗のお嬢様・モデルの[[高倉美貴]]である。彼女は団鬼六の粘り強い説得に根負けしSM女優となった。高倉美貴も谷ナオミ・麻吹淳子と同様に、団鬼六の公私にわたるパートナーとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「第3次SMブーム（第2次SMブーム後期）」===&lt;br /&gt;
[[1984年]]、素人女優・[[末次富士子]]らが日活のSM映画で活躍し、SMが[[ワイドショー]]で取り上げられるまでになった。翌[[1985年]]、AVに圧倒されていた日活が起死回生を賭け、“本番セックスでの撮影（[[ハメ撮り]]）”を導入した。これを象徴する作品が、[[木築沙絵子]]主演のSM映画『[[箱の中の女]]』である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日活は本番映画でAVに対抗しようとした。しかしその経営努力も空しく、[[1988年]]に倒産した。一方AVでは、[[アートビデオ]]がSMビデオの大御所として業界をリードした（主演男優は怪優・[[黒田透]]）。この頃がSMビデオの最盛期である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1986年]]、AVで[[横浜国大]]の現役女子大生・[[黒木香]]がSM女優としてデビューし、“元祖高学歴AV女優”および“元祖AVタレント”として一世を風靡した。黒木香らの活躍により、SMは完全にお茶の間の中に入り込むようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃SM誌では、SMが“ファッション化”され“大衆化”する一方で、SMの“質の低下”が目立つようになった。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>110.135.21.34</name></author>	</entry>

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		<summary type="html">&lt;p&gt;110.135.21.34: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''SMブーム'''（えすえむぶーむ）とは、日本において雑誌（[[SM誌]]）、映画（[[にっかつロマンポルノ]]）ビデオ（[[アダルトビデオ]]）で、[[サド]]の男性が[[マゾ]]の女性を性的に責めることが流行した一連のムーブメントのこと。第1次SMブーム、第2次SMブーム、第3次SMブーム（第2次SMブーム後期）の3つに分類される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「世界に冠たるSM大国・日本」===&lt;br /&gt;
今日、日本はドイツと並び“世界に冠たるSM大国”となっている。これは[[江戸時代]]以降、特に[[明治時代]]以降、日本人の国民性が“陰湿”で“男尊女卑”となったため、日本にはもともと“SMを受け容れる土壌があった”ことが大きな原因である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「日活のポルノ転進」と「第1次SMブーム」===&lt;br /&gt;
[[1971年]]、日本の“映画大手5社”の一つである[[日活]]が、経営不振により[[ポルノ]]映画製作に路線転換した。これが[[にっかつロマンポルノ]]と呼ばれる[[ピンク映画]]である。SM誌の『[[SMセレクト]]』と『[[SMファン]]』が創刊された。翌[[1972年]]、[[官能作家]]・[[団鬼六]]が『SMキング』を創刊。同年、『[[SMフロンティア]]』、『[[SMコレクター]]』も創刊され、SM誌が2年間で5種類も創刊された。これを第1次[[SMブーム]]という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
団鬼六は“にっかつの巨匠（原作者）”となり、“初代SMの女王”[[谷ナオミ]]と“公私にわたる名パートナー”となって“にっかつのドル箱”となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「女子大生ブーム、アダルトビデオ・ブーム」と「第2次SMブーム」===&lt;br /&gt;
[[1979年]]、『[[SMスナイパー]]』が創刊された。&lt;br /&gt;
[[1980年]]、マゾ女優の[[谷ナオミ]]が一般男性と結婚しSM女優を引退した（のちSMサークルを主催）。団鬼六は2代目SMの女王として[[麻吹淳子]]を起用した。麻吹淳子は日活ポルノ美人コンテスト第3位という経歴の持ち主で、病気で引退するまでの約1年間に13本のSM映画に主演した。活動期間は短かったが、大いに活躍したSM女優であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1981年]]、『[[SMマニア]]』『[[SMスピリット]]』、『[[SMクラブ]]』が創刊された。第2次SMブームである。さらに[[1983年]]、『[[SM秘小説]]』が創刊された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時は[[女子大生ブーム]]の最盛期に当たり、またアダルトビデオが誕生して[[アダルトビデオ・ブーム]]も起こっていたため、多くの[[女子大生]]がSMビデオに出演した。SM誌でSMモデルになった女子大生も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
麻吹淳子の引退を受けて1983年に“3代目SMの女王”になったのが、金沢の老舗のお嬢様・モデルの[[高倉美貴]]である。彼女は団鬼六の粘り強い説得に根負けしSM女優となった。高倉美貴も谷ナオミ・麻吹淳子と同様に、団鬼六の公私にわたるパートナーとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「第3次SMブーム（第2次SMブーム後期）」===&lt;br /&gt;
[[1984年]]、素人女優・[[末次富士子]]らが日活のSM映画で活躍し、SMが[[ワイドショー]]で取り上げられるまでになった。翌[[1985年]]、AVに圧倒されていた日活が起死回生を賭け、“本番セックスでの撮影（[[ハメ撮り]]）”を導入した。これを象徴する作品が、[[木築沙絵子]]主演のSM映画『[[箱の中の女]]』である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日活は本番映画でAVに対抗しようとした。しかしその経営努力も空しく、[[1988年]]に倒産した。一方AVでは、[[アートビデオ]]がSMビデオの大御所として業界をリードした（主演男優は怪優・[[黒田透]]）。この頃がSMビデオの最盛期である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1986年]]、AVで[[横浜国大]]の現役女子大生・[[黒木香]]がSM女優としてデビューし、“元祖高学歴AV女優”および“元祖AVタレント”として一世を風靡した。黒木香らの活躍により、SMは完全にお茶の間の中に入り込むようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃SM誌では、SMが“ファッション化”され“大衆化”する一方で、SMの“質の低下”が目立つようになった。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>110.135.21.34</name></author>	</entry>

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		<id>http://34.219.76.139/mediawiki/index.php?title=%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%A4%A7%E7%94%9F%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A0&amp;diff=137943</id>
		<title>女子大生ブーム</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;110.135.21.34: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''女子大生ブーム'''（じょしだいせいブーム）とは、[[1980年代]]にテレビ局を中心とするマスコミが[[女子大生]]を番組に出演させるなど女子大生を取り上げたことにより、女子大生が社会的ステイタスを獲得してもてはやされた、一連のムーブメントのこと。女子大生ブームは[[社会現象]]となって[[性風俗]]産業に大きな影響を与え、両者は“表裏一体の関係”にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「ノーパン喫茶の誕生」と「女子大生ノーパン嬢」===&lt;br /&gt;
[[1978年]]に[[京都]][[河原町]]で[[ノーパン喫茶]]が誕生し、[[大阪]]・京都を中心とする[[関西]]でブームになった。ノーパン喫茶は全裸に超ミニという格好で、ほとんどストリップ状態であった。このとき破格の高い[[時給]]に影響され、[[女子大生]]が大量に[[ノーパン嬢]]となった。これを[[女子大生ノーパン嬢]]という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このような現象は、[[70年代]]前半には[[学生運動]]をしていた女子大生にとって初めてのことであり、“ノーパン喫茶は女子大生にとって風俗の入り口”となった。以後、（関西では）女子大生が[[性風俗]]の担い手として活躍し始める（[[関東]]は[[1981年]]から）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「フジテレビの軽チャー路線」と「女子大生ブーム」===&lt;br /&gt;
ほぼ同じ頃、東京の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で[[オーナー]]一族である[[鹿内家]]をめぐるお家騒動が起きた。これは初代[[フジサンケイグループ]]議長の[[鹿内信隆]]が死去したあと、信隆の長男・[[鹿内春雄]]を中心とする鹿内ファミリーをフジテレビから追放したクーデターであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このクーデター劇によりフジテレビは企業理念を70年代の『母と子のフジテレビ』から『面白くなくなければテレビじゃない』に180度大転換し、“[[軽チャー路線]]”を邁進した。この「フジテレビ軽チャー路線」から[[1980年]]に誕生したのが、[[女子大生ブーム]]と[[漫才ブーム]]（[[ビートたけし]]、[[島田紳助]]等）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女子大生ブームの主役は現役女子大生達であったが、事実上の主役は女子大生番組（主に[[生放送]]）司会、[[山城新伍]]であった。また、女子大生達の中から[[青山学院大]]の[[川島なお美]]らが芸能界デビューし、[[女子大生タレント]]の先駆けとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「クリスタル族」と「ボートハウスのトレーナー」===&lt;br /&gt;
同年[[1980年]]、学生作家の[[田中康夫]]が小説『[[なんとなく、クリスタル]]』を発表しベストセラーとなった。ここに[[クリスタル族]]が誕生し、小説『なんとなく、クリスタル』は[[1981年]]に[[かとうかず子]]主演で映画化されブームに拍車をかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃、[[ハマトラ]]（横浜トラッド）の影響を受け、“女子大生ファッション”がブームとなった。ファッション・ジャンル的には[[アイビー]]や[[プレッピー]]の系統である。これを後押ししたのが[[ボートハウスのトレーナー]]の一大ブームであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女子大生は女子大生ファッションやボートハウスのトレーナーを手に入れるために、より高い時給の[[アルバイト]]に励むようになった。一種の[[拝金主義]]であり、女子大生の間に「お金のためならなんでもする」という風潮が蔓延していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「ノーパン喫茶の関東制覇」と「アダルトビデオの誕生」===&lt;br /&gt;
翌[[1981年]]、ノーパン喫茶が東京を中心とする関東地方を制覇し、全国的にノーパン喫茶ブームが起こると、女子大生番組に出演していた女子大生を中心に、女子大生の多くが大量に女子大生ノーパン嬢となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに彼女達は、前年[[1980年]]に発生した[[アダルトビデオ]]の大ブームに巻き込まれ、その多くが[[女子大生AV嬢]]となった。当時のAVは男性性器を女性性器に挿入しない[[擬似セックス]]が多かったが、男性性器を挿入する“本番”の[[ハメ撮り]]も多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「SMブーム」と「空前のスワッピング・ブーム」===&lt;br /&gt;
同年1981年、[[第2次SMブーム]]が発生して[[SM誌]]が多数創刊されると、その影響でアダルトビデオでも[[アートビデオ]]などの“SMビデオ”がブームになった。その結果、SMビデオに出演する女子大生が多数登場した。SM誌で[[SMモデル]]になった女子大生も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またこの年は『[[オレンジピープル]]』を中心に[[スワップ誌]]が一世を風靡し、[[スワッピング・ブーム]]が巻き起こった。当時のスワッピング・ブームの中心世代は40代～50代の夫婦であったが、各スワップ誌で素人のスワッピング・サークルが“単独女性”を募集し、女子大生もスワッピング・ブームに大量に流れた。（テレビ朝日『[[トゥナイト]]』による）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「オールナイトフジの放送開始」===&lt;br /&gt;
[[1983年]]、[[フジテレビ]]が女子大生を主役にした深夜の生放送番組『[[オールナイトフジ]]』の放送を開始し、女子大生ブームは新たな展開を見せ始める。この番組の目玉である現役女子大生から成る[[オールナイターズ]]は、女子大生ブームのシンボルとしてアイドル並みの人気を誇った。オールナイトフジには性風俗コーナーがあり、番組に性風俗業者が多数登場した。オールナイターズからも“オールナイターズ随一の美女”と言われた[[高野みどり]]をはじめ（確認されただけで）5人がAVデビューしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「新風俗営業法」と「第1次女子大生ブームの終焉」===&lt;br /&gt;
[[1985年]]、女子大生ブームと性風俗産業の結びつきに危機感を抱いた[[中曽根康弘]]政権は、[[郵政省]]を使ってフジテレビ等に圧力をかけ、『オールナイトフジ』は放送終了となった。（このあと性風俗情報を排除した『[[オールナイトフジII]]』がスタート）。同じく中曽根政権は[[新風俗営業法]]を施行してノーパン喫茶をはじめとする性風俗産業に大打撃を与えた。ここに1980年から5年間続いた女子大生ブームは沈静化の方向へ向かい始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「オールナイトフジII」と「第2次女子大生ブーム」===&lt;br /&gt;
以後、『オールナイトフジII』を中心とする穏やかな女子大生ブームに移行し、これを[[第2次女子大生ブーム]]という。第2次女子大生ブームの中心になったのは、“元祖AVタレント”であり“元祖高学歴AV嬢”でもある横浜国大・[[黒木香]]らである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように、女子大生ブームは80年代前半を最盛期として約10年間続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「女子高生ブーム」と「女子大生の没落」===&lt;br /&gt;
90年代になると[[ミニスカ]]＆[[ルーズソックス]]姿の[[女子高生]]が、[[援助交際]]をしながら[[女子高生ブーム]]を起こした。これと反比例して女子大生のブランド価値が急激に低下し、女子大生は女子高生に圧倒されていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1996年]]、[[援交ブーム]]がピークを迎えるともはや「女子大生ブーム」という言葉は死語となり、女子大生が女子高生に迎合して女子高生の真似をする時代となった（女子大生の女子高生化現象）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「キャンパスナイトフジの放送開始」と「『ミスキャンパス通信』シリーズ」===&lt;br /&gt;
[[2007年]]、18年ぶりの女子大生番組、『[[キャンパスナイトフジ]]』（フジテレビ）がスタートした。この番組の目玉は現役女子大生から成る[[キャンパスナイターズ]]で、これは80年代のオールナイターズに相当するものであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌[[2008年]]、AV『[[ミスキャンパス通信]]』シリーズの販売が開始された。このシリーズは（大学の）学園祭の[[ミスコン]]優勝者がAVに出演するものである。ミス東大・ミス学習院・ミス青山など、[[2010年]]末までに26人のミスキャンパスがAVデビューした（ミス東洋大のAV女優・[[木内美保]]は同シリーズに含まず）。このシリーズはいったん終了し、「『[[現役ミスキャンパス通信]]』シリーズ」に引き継がれて今日に至っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように00年代後半から“女子大生は誘われれば誰でもAVにでる時代”となり、性風俗産業において小規模な女子大生ブームが続いている。今日ではもはや、“女子大生が風俗のアルバイトをするのは当たり前の時代”となった。SMクラブでも“M嬢の主力”はOLと女子大生である。&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:しよしたいせいふうむ}}&lt;br /&gt;
[[Category:風俗]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>110.135.21.34</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://34.219.76.139/mediawiki/index.php?title=%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%A4%A7%E7%94%9F%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A0&amp;diff=137942</id>
		<title>女子大生ブーム</title>
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				<updated>2011-09-12T17:52:25Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;110.135.21.34: /* 「キャンパスナイトフジの放送開始」と「『ミスキャンパス通信』シリーズ」 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''女子大生ブーム'''（じょしだいせいブーム）とは、[[1980年代]]にテレビ局を中心とするマスコミが[[女子大生]]を番組に出演させるなど女子大生を取り上げたことにより、女子大生が社会的ステイタスを獲得してもてはやされた、一連のムーブメントのこと。女子大生ブームは[[社会現象]]となって[[性風俗]]産業から大きな影響を受け、両者は“表裏一体の関係”にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「ノーパン喫茶の誕生」と「女子大生ノーパン嬢」===&lt;br /&gt;
[[1978年]]に[[京都]][[河原町]]で[[ノーパン喫茶]]が誕生し、[[大阪]]・京都を中心とする[[関西]]でブームになった。このとき破格の高[[時給]]に影響され、現役[[女子大生]]が大量に[[ノーパン嬢]]となった。これを[[女子大生ノーパン嬢]]という。ノーパン喫茶は全裸に超ミニ、またはＴシャツに超ミニという格好で、ほとんどストリップ状態であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このような現象は[[70年代]]前半には[[学生運動]]をしていた女子大生にとって初めてのことであり、ノーパン喫茶は“女子大生にとって風俗の入り口”となった。以後、（関西では）女子大生が[[性風俗]]の担い手として活躍し始める（[[関東]]は[[1981年]]から）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「フジテレビの軽チャー路線」と「女子大生ブーム」===&lt;br /&gt;
ほぼ同じ頃、東京の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で[[オーナー]]一族である[[鹿内家]]をめぐるお家騒動が起きた。これは初代[[フジサンケイグループ]]議長の[[鹿内信隆]]が死去したあと、信隆の長男・[[鹿内春雄]]を中心とする鹿内ファミリーをフジテレビから追放したクーデターであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このクーデター劇によりフジテレビは企業理念を70年代の『母と子のフジテレビ』から『面白くなくなければテレビじゃない』に180度大転換し、いわゆる“[[軽チャー路線]]”を邁進した。このフジテレビ軽チャー路線から[[1980年]]に誕生したのが[[女子大生ブーム]]と[[漫才ブーム]]（[[ビートたけし]]、[[島田紳助]]等）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女子大生ブームの主役は現役女子大生達であったが、事実上の主役は女子大生番組（主に[[生放送]]）司会、[[山城新伍]]であった。また、女子大生達の中から[[青山学院大]]の[[川島なお美]]らが芸能界デビューし、[[女子大生タレント]]の先駆けとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「クリスタル族」と「ボートハウスのトレーナー」===&lt;br /&gt;
同年[[1980年]]、学生作家の[[田中康夫]]が小説『[[なんとなくクリスタル]]』を発表しベストセラーとなった。ここに[[クリスタル族]]が誕生し、小説『なんとなくクリスタル』は[[1981年]]に[[かとうかず子]]主演で映画化されブームに拍車をかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃、[[ハマトラ]]（横浜トラッド）の影響を受け、いわゆる“女子大生ファッション”がブームとなった。これを後押ししたのが[[ボートハウスのトレーナー]]の一大ブームである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「ノーパン喫茶の関東制覇」と「アダルトビデオの誕生」===&lt;br /&gt;
翌[[1981年]]、ノーパン喫茶が東京を中心とする関東地方を制覇し、全国的にノーパン喫茶ブームが起こると、女子大生達、特に女子大生番組に出演していた女子大生の多くが、大量に女子大生ノーパン嬢となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに彼女達は、前年[[1980年]]に発生した[[アダルトビデオ]]の大ブームに巻き込まれ、その多くが[[女子大生AV嬢]]となった。当時のAVは男性性器を女性性器に挿入しない[[擬似セックス]]が多かったが、男性性器を挿入する“本番”の[[ハメ撮り]]もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「SMブーム」と「空前のスワッピング・ブーム」===&lt;br /&gt;
同年1981年、[[第2次SMブーム]]が発生して[[SM誌]]が多数創刊されると、その影響でアダルトビデオでも[[アートビデオ]]などのSMビデオがブームになった。当然のことながら、女子大生AV嬢の中でSMビデオに出演する者も多かった。SM誌で[[SMモデル]]になった女子大生も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またこの年は『[[オレンジピープル]]』を中心に[[スワップ誌]]が一世を風靡し、[[スワッピング・ブーム]]が巻き起こった。スワッピング・ブームの中心世代は40代～50代の夫婦であったが、各スワップ誌で素人のスワッピング・サークルが“単独女性”を募集し、女子大生達もスワッピング・ブームに大量に流れた。（テレビ朝日『[[トゥナイト]]』による）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「オールナイトフジの放送開始」===&lt;br /&gt;
[[1983年]]、[[フジテレビ]]が女子大生を主役にした深夜の生放送番組『[[オールナイトフジ]]』の放送を開始し、女子大生ブームは新たな展開を見せ始める。この番組の目玉である現役女子大生から成る[[オールナイターズ]]は、女子大生ブームのシンボルとしてアイドル並みの人気を誇った。オールナイトフジには性風俗コーナーがあり、番組に性風俗業者が多数登場した。オールナイターズからも“オールナイターズ随一の美女”と言われた[[高野みどり]]をはじめ、約5人がAVデビューしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「新風俗営業法」と「第1次女子大生ブームの終焉」===&lt;br /&gt;
[[1985年]]、女子大生ブームと性風俗産業の結びつきに危機感を抱いた[[中曽根康弘]]政権は、[[郵政省]]を使ってフジテレビ等に圧力をかけ、『オールナイトフジ』は放送終了となった。（このあと性風俗情報を排除した『[[オールナイトフジII]]』がスタート）。同じく中曽根政権は[[新風俗営業法]]を施行してノーパン喫茶をはじめとする性風俗産業に大打撃を与えた。ここに1980年から5年間続いた女子大生ブームは沈静化の方向へ向かい始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「オールナイトフジII」と「第2次女子大生ブーム」===&lt;br /&gt;
以後、『オールナイトフジII』を中心とする穏やかな女子大生ブームに移行し、これを[[第2次女子大生ブーム]]という。第2次女子大生ブームの中心になったのは、“元祖AVタレント”であり“元祖高学歴AV嬢”でもある横浜国大・[[黒木香]]らである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「女子高生ブーム」と「女子大生の没落」===&lt;br /&gt;
90年代前半になると[[ミニスカ]]＆[[ルーズソックス]]姿の[[女子高生]]が、[[援助交際]]をしながら[[女子高生ブーム]]を起こした。これと反比例して女子大生のブランド価値が急激に低下し、女子大生は女子高生に圧倒されてゆく。[[1996年]]、[[援交ブーム]]がピークを迎えるともはや女子大生ブームという言葉は死語となり、女子大生が女子高生に迎合して女子高生の真似をする時代となった（女子大生の女子高生化現象）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「キャンパスナイトフジの放送開始」と「『ミスキャンパス通信』シリーズ」===&lt;br /&gt;
2007年、18年ぶりの女子大生番組、『[[キャンパスナイトフジ]]』（フジテレビ）がスタートした。この番組の目玉は現役女子大生から成る[[キャンパスナイターズ]]で、これは80年代のオールナイターズに相当する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
翌08年、AV『[[ミスキャンパス通信]]』シリーズの販売が開始された。このシリーズは（大学の）[[学園祭]]の[[ミスコン]]優勝者がAVに出演するものである。[[ミス東大]]・[[ミス学習院]]・[[ミス青山]]など、10年末までに26人のミスキャンパスがAVデビューした（ミス東洋大のAV女優・[[木内美保]]は同シリーズに含まず）。このシリーズはいったん終了し、「『[[現役ミスキャンパス通信]]』シリーズ」に引き継がれて今日に至っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように00年代後半から“女子大生は誘われれば誰でもAVにでる時代”となり、性風俗産業において小規模な女子大生ブームが続いている。&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:しよしたいせいふうむ}}&lt;br /&gt;
[[Category:風俗]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>110.135.21.34</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>女子大生ブーム</title>
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				<updated>2011-09-12T17:47:09Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;110.135.21.34: /* 「オールナイトフジII」と「第2次女子大生ブーム」 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''女子大生ブーム'''（じょしだいせいブーム）とは、[[1980年代]]にテレビ局を中心とするマスコミが[[女子大生]]を番組に出演させるなど女子大生を取り上げたことにより、女子大生が社会的ステイタスを獲得してもてはやされた、一連のムーブメントのこと。女子大生ブームは[[社会現象]]となって[[性風俗]]産業から大きな影響を受け、両者は“表裏一体の関係”にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「ノーパン喫茶の誕生」と「女子大生ノーパン嬢」===&lt;br /&gt;
[[1978年]]に[[京都]][[河原町]]で[[ノーパン喫茶]]が誕生し、[[大阪]]・京都を中心とする[[関西]]でブームになった。このとき破格の高[[時給]]に影響され、現役[[女子大生]]が大量に[[ノーパン嬢]]となった。これを[[女子大生ノーパン嬢]]という。ノーパン喫茶は全裸に超ミニ、またはＴシャツに超ミニという格好で、ほとんどストリップ状態であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このような現象は[[70年代]]前半には[[学生運動]]をしていた女子大生にとって初めてのことであり、ノーパン喫茶は“女子大生にとって風俗の入り口”となった。以後、（関西では）女子大生が[[性風俗]]の担い手として活躍し始める（[[関東]]は[[1981年]]から）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「フジテレビの軽チャー路線」と「女子大生ブーム」===&lt;br /&gt;
ほぼ同じ頃、東京の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で[[オーナー]]一族である[[鹿内家]]をめぐるお家騒動が起きた。これは初代[[フジサンケイグループ]]議長の[[鹿内信隆]]が死去したあと、信隆の長男・[[鹿内春雄]]を中心とする鹿内ファミリーをフジテレビから追放したクーデターであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このクーデター劇によりフジテレビは企業理念を70年代の『母と子のフジテレビ』から『面白くなくなければテレビじゃない』に180度大転換し、いわゆる“[[軽チャー路線]]”を邁進した。このフジテレビ軽チャー路線から[[1980年]]に誕生したのが[[女子大生ブーム]]と[[漫才ブーム]]（[[ビートたけし]]、[[島田紳助]]等）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女子大生ブームの主役は現役女子大生達であったが、事実上の主役は女子大生番組（主に[[生放送]]）司会、[[山城新伍]]であった。また、女子大生達の中から[[青山学院大]]の[[川島なお美]]らが芸能界デビューし、[[女子大生タレント]]の先駆けとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「クリスタル族」と「ボートハウスのトレーナー」===&lt;br /&gt;
同年[[1980年]]、学生作家の[[田中康夫]]が小説『[[なんとなくクリスタル]]』を発表しベストセラーとなった。ここに[[クリスタル族]]が誕生し、小説『なんとなくクリスタル』は[[1981年]]に[[かとうかず子]]主演で映画化されブームに拍車をかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃、[[ハマトラ]]（横浜トラッド）の影響を受け、いわゆる“女子大生ファッション”がブームとなった。これを後押ししたのが[[ボートハウスのトレーナー]]の一大ブームである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「ノーパン喫茶の関東制覇」と「アダルトビデオの誕生」===&lt;br /&gt;
翌[[1981年]]、ノーパン喫茶が東京を中心とする関東地方を制覇し、全国的にノーパン喫茶ブームが起こると、女子大生達、特に女子大生番組に出演していた女子大生の多くが、大量に女子大生ノーパン嬢となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに彼女達は、前年[[1980年]]に発生した[[アダルトビデオ]]の大ブームに巻き込まれ、その多くが[[女子大生AV嬢]]となった。当時のAVは男性性器を女性性器に挿入しない[[擬似セックス]]が多かったが、男性性器を挿入する“本番”の[[ハメ撮り]]もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「SMブーム」と「空前のスワッピング・ブーム」===&lt;br /&gt;
同年1981年、[[第2次SMブーム]]が発生して[[SM誌]]が多数創刊されると、その影響でアダルトビデオでも[[アートビデオ]]などのSMビデオがブームになった。当然のことながら、女子大生AV嬢の中でSMビデオに出演する者も多かった。SM誌で[[SMモデル]]になった女子大生も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またこの年は『[[オレンジピープル]]』を中心に[[スワップ誌]]が一世を風靡し、[[スワッピング・ブーム]]が巻き起こった。スワッピング・ブームの中心世代は40代～50代の夫婦であったが、各スワップ誌で素人のスワッピング・サークルが“単独女性”を募集し、女子大生達もスワッピング・ブームに大量に流れた。（テレビ朝日『[[トゥナイト]]』による）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「オールナイトフジの放送開始」===&lt;br /&gt;
[[1983年]]、[[フジテレビ]]が女子大生を主役にした深夜の生放送番組『[[オールナイトフジ]]』の放送を開始し、女子大生ブームは新たな展開を見せ始める。この番組の目玉である現役女子大生から成る[[オールナイターズ]]は、女子大生ブームのシンボルとしてアイドル並みの人気を誇った。オールナイトフジには性風俗コーナーがあり、番組に性風俗業者が多数登場した。オールナイターズからも“オールナイターズ随一の美女”と言われた[[高野みどり]]をはじめ、約5人がAVデビューしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「新風俗営業法」と「第1次女子大生ブームの終焉」===&lt;br /&gt;
[[1985年]]、女子大生ブームと性風俗産業の結びつきに危機感を抱いた[[中曽根康弘]]政権は、[[郵政省]]を使ってフジテレビ等に圧力をかけ、『オールナイトフジ』は放送終了となった。（このあと性風俗情報を排除した『[[オールナイトフジII]]』がスタート）。同じく中曽根政権は[[新風俗営業法]]を施行してノーパン喫茶をはじめとする性風俗産業に大打撃を与えた。ここに1980年から5年間続いた女子大生ブームは沈静化の方向へ向かい始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「オールナイトフジII」と「第2次女子大生ブーム」===&lt;br /&gt;
以後、『オールナイトフジII』を中心とする穏やかな女子大生ブームに移行し、これを[[第2次女子大生ブーム]]という。第2次女子大生ブームの中心になったのは、“元祖AVタレント”であり“元祖高学歴AV嬢”でもある横浜国大・[[黒木香]]らである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「女子高生ブーム」と「女子大生の没落」===&lt;br /&gt;
90年代前半になると[[ミニスカ]]＆[[ルーズソックス]]姿の[[女子高生]]が、[[援助交際]]をしながら[[女子高生ブーム]]を起こした。これと反比例して女子大生のブランド価値が急激に低下し、女子大生は女子高生に圧倒されてゆく。[[1996年]]、[[援交ブーム]]がピークを迎えるともはや女子大生ブームという言葉は死語となり、女子大生が女子高生に迎合して女子高生の真似をする時代となった（女子大生の女子高生化現象）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「キャンパスナイトフジの放送開始」と「『ミスキャンパス通信』シリーズ」===&lt;br /&gt;
2007年、18年ぶりの女子大生番組、『[[キャンパスナイトフジ]]』（フジテレビ）がスタートした。翌08年、AV『[[ミスキャンパス通信]]』シリーズの販売が開始された。このシリーズは（大学の）[[学園祭]]の[[ミスコン]]優勝者がAVに出演するものである。[[ミス東大]]・[[ミス学習院]]・[[ミス青山]]など、10年末までに既に26人のミスキャンパスがAVデビューしている（ミス東洋大のAV女優・[[木内美保]]は同シリーズに含まず）。このシリーズは「『[[現役ミスキャンパス通信]]』シリーズ」となって今日に至っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように00年代後半から“女子大生は誘われれば誰でもAVにでる時代”となり、性風俗産業において小規模な女子大生ブームが続いている。&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:しよしたいせいふうむ}}&lt;br /&gt;
[[Category:風俗]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>110.135.21.34</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://34.219.76.139/mediawiki/index.php?title=%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%A4%A7%E7%94%9F%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A0&amp;diff=137940</id>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;110.135.21.34: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''女子大生ブーム'''（じょしだいせいブーム）とは、[[1980年代]]にテレビ局を中心とするマスコミが[[女子大生]]を番組に出演させるなど女子大生を取り上げたことにより、女子大生が社会的ステイタスを獲得してもてはやされた、一連のムーブメントのこと。女子大生ブームは[[社会現象]]となって[[性風俗]]産業から大きな影響を受け、両者は“表裏一体の関係”にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「ノーパン喫茶の誕生」と「女子大生ノーパン嬢」===&lt;br /&gt;
[[1978年]]に[[京都]][[河原町]]で[[ノーパン喫茶]]が誕生し、[[大阪]]・京都を中心とする[[関西]]でブームになった。このとき破格の高[[時給]]に影響され、現役[[女子大生]]が大量に[[ノーパン嬢]]となった。これを[[女子大生ノーパン嬢]]という。ノーパン喫茶は全裸に超ミニ、またはＴシャツに超ミニという格好で、ほとんどストリップ状態であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このような現象は[[70年代]]前半には[[学生運動]]をしていた女子大生にとって初めてのことであり、ノーパン喫茶は“女子大生にとって風俗の入り口”となった。以後、（関西では）女子大生が[[性風俗]]の担い手として活躍し始める（[[関東]]は[[1981年]]から）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「フジテレビの軽チャー路線」と「女子大生ブーム」===&lt;br /&gt;
ほぼ同じ頃、東京の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で[[オーナー]]一族である[[鹿内家]]をめぐるお家騒動が起きた。これは初代[[フジサンケイグループ]]議長の[[鹿内信隆]]が死去したあと、信隆の長男・[[鹿内春雄]]を中心とする鹿内ファミリーをフジテレビから追放したクーデターであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このクーデター劇によりフジテレビは企業理念を70年代の『母と子のフジテレビ』から『面白くなくなければテレビじゃない』に180度大転換し、いわゆる“[[軽チャー路線]]”を邁進した。このフジテレビ軽チャー路線から[[1980年]]に誕生したのが[[女子大生ブーム]]と[[漫才ブーム]]（[[ビートたけし]]、[[島田紳助]]等）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女子大生ブームの主役は現役女子大生達であったが、事実上の主役は女子大生番組（主に[[生放送]]）司会、[[山城新伍]]であった。また、女子大生達の中から[[青山学院大]]の[[川島なお美]]らが芸能界デビューし、[[女子大生タレント]]の先駆けとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「クリスタル族」と「ボートハウスのトレーナー」===&lt;br /&gt;
同年[[1980年]]、学生作家の[[田中康夫]]が小説『[[なんとなくクリスタル]]』を発表しベストセラーとなった。ここに[[クリスタル族]]が誕生し、小説『なんとなくクリスタル』は[[1981年]]に[[かとうかず子]]主演で映画化されブームに拍車をかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃、[[ハマトラ]]（横浜トラッド）の影響を受け、いわゆる“女子大生ファッション”がブームとなった。これを後押ししたのが[[ボートハウスのトレーナー]]の一大ブームである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「ノーパン喫茶の関東制覇」と「アダルトビデオの誕生」===&lt;br /&gt;
翌[[1981年]]、ノーパン喫茶が東京を中心とする関東地方を制覇し、全国的にノーパン喫茶ブームが起こると、女子大生達、特に女子大生番組に出演していた女子大生の多くが、大量に女子大生ノーパン嬢となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに彼女達は、前年[[1980年]]に発生した[[アダルトビデオ]]の大ブームに巻き込まれ、その多くが[[女子大生AV嬢]]となった。当時のAVは男性性器を女性性器に挿入しない[[擬似セックス]]が多かったが、男性性器を挿入する“本番”の[[ハメ撮り]]もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「SMブーム」と「空前のスワッピング・ブーム」===&lt;br /&gt;
同年1981年、[[第2次SMブーム]]が発生して[[SM誌]]が多数創刊されると、その影響でアダルトビデオでも[[アートビデオ]]などのSMビデオがブームになった。当然のことながら、女子大生AV嬢の中でSMビデオに出演する者も多かった。SM誌で[[SMモデル]]になった女子大生も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またこの年は『[[オレンジピープル]]』を中心に[[スワップ誌]]が一世を風靡し、[[スワッピング・ブーム]]が巻き起こった。スワッピング・ブームの中心世代は40代～50代の夫婦であったが、各スワップ誌で素人のスワッピング・サークルが“単独女性”を募集し、女子大生達もスワッピング・ブームに大量に流れた。（テレビ朝日『[[トゥナイト]]』による）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「オールナイトフジの放送開始」===&lt;br /&gt;
[[1983年]]、[[フジテレビ]]が女子大生を主役にした深夜の生放送番組『[[オールナイトフジ]]』の放送を開始し、女子大生ブームは新たな展開を見せ始める。この番組の目玉である現役女子大生から成る[[オールナイターズ]]は、女子大生ブームのシンボルとしてアイドル並みの人気を誇った。オールナイトフジには性風俗コーナーがあり、番組に性風俗業者が多数登場した。オールナイターズからも“オールナイターズ随一の美女”と言われた[[高野みどり]]をはじめ、約5人がAVデビューしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「新風俗営業法」と「第1次女子大生ブームの終焉」===&lt;br /&gt;
[[1985年]]、女子大生ブームと性風俗産業の結びつきに危機感を抱いた[[中曽根康弘]]政権は、[[郵政省]]を使ってフジテレビ等に圧力をかけ、『オールナイトフジ』は放送終了となった。（このあと性風俗情報を排除した『[[オールナイトフジII]]』がスタート）。同じく中曽根政権は[[新風俗営業法]]を施行してノーパン喫茶をはじめとする性風俗産業に大打撃を与えた。ここに1980年から5年間続いた女子大生ブームは沈静化の方向へ向かい始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「オールナイトフジII」と「第2次女子大生ブーム」===&lt;br /&gt;
以後、『オールナイトフジII』を中心とする穏やかな女子大生ブームに移行し、これを[[第2次女子大生ブーム]]という。第2次女子大生ブームの中心になったのは、“元祖AVタレント”であり“元祖高学歴AV嬢”でもある横浜国大・[[黒木香]]（AV嬢）らである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「女子高生ブーム」と「女子大生の没落」===&lt;br /&gt;
90年代前半になると[[ミニスカ]]＆[[ルーズソックス]]姿の[[女子高生]]が、[[援助交際]]をしながら[[女子高生ブーム]]を起こした。これと反比例して女子大生のブランド価値が急激に低下し、女子大生は女子高生に圧倒されてゆく。[[1996年]]、[[援交ブーム]]がピークを迎えるともはや女子大生ブームという言葉は死語となり、女子大生が女子高生に迎合して女子高生の真似をする時代となった（女子大生の女子高生化現象）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「キャンパスナイトフジの放送開始」と「『ミスキャンパス通信』シリーズ」===&lt;br /&gt;
2007年、18年ぶりの女子大生番組、『[[キャンパスナイトフジ]]』（フジテレビ）がスタートした。翌08年、AV『[[ミスキャンパス通信]]』シリーズの販売が開始された。このシリーズは（大学の）[[学園祭]]の[[ミスコン]]優勝者がAVに出演するものである。[[ミス東大]]・[[ミス学習院]]・[[ミス青山]]など、10年末までに既に26人のミスキャンパスがAVデビューしている（ミス東洋大のAV女優・[[木内美保]]は同シリーズに含まず）。このシリーズは「『[[現役ミスキャンパス通信]]』シリーズ」となって今日に至っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように00年代後半から“女子大生は誘われれば誰でもAVにでる時代”となり、性風俗産業において小規模な女子大生ブームが続いている。&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:しよしたいせいふうむ}}&lt;br /&gt;
[[Category:風俗]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>110.135.21.34</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://34.219.76.139/mediawiki/index.php?title=%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%A4%A7%E7%94%9F%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A0&amp;diff=137939</id>
		<title>女子大生ブーム</title>
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				<updated>2011-09-12T17:27:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;110.135.21.34: /* 「ノーパン喫茶の誕生」と「女子大生ノーパン嬢」 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''女子大生ブーム'''（じょしだいせいブーム）とは、[[1980年代]]にテレビ局を中心とするマスコミが[[女子大生]]を番組に出演させるなど女子大生を取り上げたことにより、女子大生が社会的ステイタスを獲得してもてはやされた、一連のムーブメントのこと。女子大生ブームは[[社会現象]]となって[[性風俗]]産業から大きな影響を受け、両者は“表裏一体の関係”にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「ノーパン喫茶の誕生」と「女子大生ノーパン嬢」===&lt;br /&gt;
[[1978年]]に[[京都]][[河原町]]で[[ノーパン喫茶]]が誕生し、[[大阪]]・京都を中心とする[[関西]]でブームになった。このとき破格の高[[時給]]に影響され、現役[[女子大生]]が大量に[[ノーパン嬢]]となった。これを[[女子大生ノーパン嬢]]という。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このような現象は[[70年代]]前半には[[学生運動]]をしていた女子大生にとって初めてのことであり、ノーパン喫茶は“女子大生にとって風俗の入り口”となった。以後、（関西では）女子大生が[[性風俗]]の担い手として活躍し始める（[[関東]]は[[1981年]]から）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「フジテレビの軽チャー路線」と「女子大生ブーム」===&lt;br /&gt;
ほぼ同じ頃、東京の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で[[オーナー]]一族である[[鹿内家]]をめぐるお家騒動が起きた。これは初代[[フジサンケイグループ]]議長の[[鹿内信隆]]が死去したあと、信隆の長男・[[鹿内春雄]]を中心とする鹿内ファミリーをフジテレビから追放したクーデターであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このクーデター劇によりフジテレビは企業理念を70年代の『母と子のフジテレビ』から『面白くなくなければテレビじゃない』に180度大転換し、いわゆる“[[軽チャー路線]]”を邁進した。このフジテレビ軽チャー路線から[[1980年]]に誕生したのが[[女子大生ブーム]]と[[漫才ブーム]]（[[ビートたけし]]、[[島田紳助]]等）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女子大生ブームの主役は現役女子大生達であったが、事実上の主役は女子大生番組（主に[[生放送]]）司会、[[山城新伍]]であった。また、女子大生達の中から[[青山学院大]]の[[川島なお美]]らが芸能界デビューし、[[女子大生タレント]]の先駆けとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「クリスタル族」と「ボートハウスのトレーナー」===&lt;br /&gt;
同年[[1980年]]、学生作家の[[田中康夫]]が小説『[[なんとなくクリスタル]]』を発表しベストセラーとなった。ここに[[クリスタル族]]が誕生し、小説『なんとなくクリスタル』は[[1981年]]に[[かとうかず子]]主演で映画化されブームに拍車をかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃、[[ハマトラ]]（横浜トラッド）の影響を受け、いわゆる“女子大生ファッション”がブームとなった。これを後押ししたのが[[ボートハウスのトレーナー]]の一大ブームである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「ノーパン喫茶の関東制覇」と「アダルトビデオの誕生」===&lt;br /&gt;
翌[[1981年]]、ノーパン喫茶が東京を中心とする関東地方を制覇し、全国的にノーパン喫茶ブームが起こると、女子大生達、特に女子大生番組に出演していた女子大生の多くが、大量に女子大生ノーパン嬢となった。当時のノーパン喫茶は[[全裸]]に[[超ミニ]]、またはＴシャツに超ミニという格好で、ほとんどストリップ状態であった。さらに彼女達は、前年[[1980年]]に発生した[[アダルトビデオ]]の大ブームに巻き込まれ、その多くが[[女子大生AV嬢]]となった。彼女達は[[元祖AV女優]]に含まれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「SMブーム」と「空前のスワッピング・ブーム」===&lt;br /&gt;
同年1981年、[[第2次SMブーム]]が発生して[[SM誌]]が多数創刊されると、その影響でアダルトビデオでも[[アートビデオ]]などのSMビデオがブームになった。当然のことながら、女子大生AV嬢の中でSMビデオに出演する者も多かった。SM誌で[[SMモデル]]になった女子大生も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またこの年は『[[オレンジピープル]]』を中心に[[スワップ誌]]が一世を風靡し、[[スワッピング・ブーム]]が巻き起こった。スワッピング・ブームの中心世代は40代～50代の夫婦であったが、各スワップ誌で素人のスワッピング・サークルが“単独女性”を募集し、女子大生達もスワッピング・ブームに大量に流れた。（テレビ朝日『[[トゥナイト]]』による）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「オールナイトフジの放送開始」===&lt;br /&gt;
[[1983年]]、[[フジテレビ]]が女子大生を主役にした深夜の生放送番組『[[オールナイトフジ]]』の放送を開始し、女子大生ブームは新たな展開を見せ始める。この番組の目玉である現役女子大生から成る[[オールナイターズ]]は、女子大生ブームのシンボルとしてアイドル並みの人気を誇った。オールナイトフジには性風俗コーナーがあり、番組に性風俗業者が多数登場した。オールナイターズからも“オールナイターズ随一の美女”と言われた[[高野みどり]]をはじめ、約5人がAVデビューしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「新風俗営業法」と「第1次女子大生ブームの終焉」===&lt;br /&gt;
[[1985年]]、女子大生ブームと性風俗産業の結びつきに危機感を抱いた[[中曽根康弘]]政権は、[[郵政省]]を使ってフジテレビ等に圧力をかけ、『オールナイトフジ』は放送終了となった。（このあと性風俗情報を排除した『[[オールナイトフジII]]』がスタート）。同じく中曽根政権は[[新風俗営業法]]を施行してノーパン喫茶をはじめとする性風俗産業に大打撃を与えた。ここに1980年から5年間続いた女子大生ブームは沈静化の方向へ向かい始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「オールナイトフジII」と「第2次女子大生ブーム」===&lt;br /&gt;
以後、『オールナイトフジII』を中心とする穏やかな女子大生ブームに移行し、これを[[第2次女子大生ブーム]]という。第2次女子大生ブームの中心になったのは、“元祖AVタレント”であり“元祖高学歴AV嬢”でもある横浜国大・[[黒木香]]（AV嬢）らである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「女子高生ブーム」と「女子大生の没落」===&lt;br /&gt;
90年代前半になると[[ミニスカ]]＆[[ルーズソックス]]姿の[[女子高生]]が、[[援助交際]]をしながら[[女子高生ブーム]]を起こした。これと反比例して女子大生のブランド価値が急激に低下し、女子大生は女子高生に圧倒されてゆく。[[1996年]]、[[援交ブーム]]がピークを迎えるともはや女子大生ブームという言葉は死語となり、女子大生が女子高生に迎合して女子高生の真似をする時代となった（女子大生の女子高生化現象）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「キャンパスナイトフジの放送開始」と「『ミスキャンパス通信』シリーズ」===&lt;br /&gt;
2007年、18年ぶりの女子大生番組、『[[キャンパスナイトフジ]]』（フジテレビ）がスタートした。翌08年、AV『[[ミスキャンパス通信]]』シリーズの販売が開始された。このシリーズは（大学の）[[学園祭]]の[[ミスコン]]優勝者がAVに出演するものである。[[ミス東大]]・[[ミス学習院]]・[[ミス青山]]など、10年末までに既に26人のミスキャンパスがAVデビューしている（ミス東洋大のAV女優・[[木内美保]]は同シリーズに含まず）。このシリーズは「『[[現役ミスキャンパス通信]]』シリーズ」となって今日に至っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように00年代後半から“女子大生は誘われれば誰でもAVにでる時代”となり、性風俗産業において小規模な女子大生ブームが続いている。&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:しよしたいせいふうむ}}&lt;br /&gt;
[[Category:風俗]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>110.135.21.34</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>女子大生ブーム</title>
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				<updated>2011-09-12T17:26:20Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;110.135.21.34: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''女子大生ブーム'''（じょしだいせいブーム）とは、[[1980年代]]にテレビ局を中心とするマスコミが[[女子大生]]を番組に出演させるなど女子大生を取り上げたことにより、女子大生が社会的ステイタスを獲得してもてはやされた、一連のムーブメントのこと。女子大生ブームは[[社会現象]]となって[[性風俗]]産業から大きな影響を受け、両者は“表裏一体の関係”にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「ノーパン喫茶の誕生」と「女子大生ノーパン嬢」===&lt;br /&gt;
[[1978年]]に[[京都]][[河原町]]で[[ノーパン喫茶]]が誕生し、[[大阪]]・京都を中心とする[[関西]]でブームになった。このとき破格の高[[時給]]に影響され、現役[[女子大生]]が大量に[[ノーパン嬢]]となった。これを[[女子大生ノーパン嬢]]という。このような現象は[[70年代]]前半には[[学生運動]]をしていた女子大生にとって初めてのことであり、ノーパン喫茶は“女子大生にとって風俗の入り口”となった。以後、関西では女子大生が[[性風俗]]の担い手として活躍し始める（[[関東]]は[[1981年]]から）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「フジテレビの軽チャー路線」と「女子大生ブーム」===&lt;br /&gt;
ほぼ同じ頃、東京の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で[[オーナー]]一族である[[鹿内家]]をめぐるお家騒動が起きた。これは初代[[フジサンケイグループ]]議長の[[鹿内信隆]]が死去したあと、信隆の長男・[[鹿内春雄]]を中心とする鹿内ファミリーをフジテレビから追放したクーデターであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このクーデター劇によりフジテレビは企業理念を70年代の『母と子のフジテレビ』から『面白くなくなければテレビじゃない』に180度大転換し、いわゆる“[[軽チャー路線]]”を邁進した。このフジテレビ軽チャー路線から[[1980年]]に誕生したのが[[女子大生ブーム]]と[[漫才ブーム]]（[[ビートたけし]]、[[島田紳助]]等）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女子大生ブームの主役は現役女子大生達であったが、事実上の主役は女子大生番組（主に[[生放送]]）司会、[[山城新伍]]であった。また、女子大生達の中から[[青山学院大]]の[[川島なお美]]らが芸能界デビューし、[[女子大生タレント]]の先駆けとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「クリスタル族」と「ボートハウスのトレーナー」===&lt;br /&gt;
同年[[1980年]]、学生作家の[[田中康夫]]が小説『[[なんとなくクリスタル]]』を発表しベストセラーとなった。ここに[[クリスタル族]]が誕生し、小説『なんとなくクリスタル』は[[1981年]]に[[かとうかず子]]主演で映画化されブームに拍車をかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃、[[ハマトラ]]（横浜トラッド）の影響を受け、いわゆる“女子大生ファッション”がブームとなった。これを後押ししたのが[[ボートハウスのトレーナー]]の一大ブームである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「ノーパン喫茶の関東制覇」と「アダルトビデオの誕生」===&lt;br /&gt;
翌[[1981年]]、ノーパン喫茶が東京を中心とする関東地方を制覇し、全国的にノーパン喫茶ブームが起こると、女子大生達、特に女子大生番組に出演していた女子大生の多くが、大量に女子大生ノーパン嬢となった。当時のノーパン喫茶は[[全裸]]に[[超ミニ]]、またはＴシャツに超ミニという格好で、ほとんどストリップ状態であった。さらに彼女達は、前年[[1980年]]に発生した[[アダルトビデオ]]の大ブームに巻き込まれ、その多くが[[女子大生AV嬢]]となった。彼女達は[[元祖AV女優]]に含まれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「SMブーム」と「空前のスワッピング・ブーム」===&lt;br /&gt;
同年1981年、[[第2次SMブーム]]が発生して[[SM誌]]が多数創刊されると、その影響でアダルトビデオでも[[アートビデオ]]などのSMビデオがブームになった。当然のことながら、女子大生AV嬢の中でSMビデオに出演する者も多かった。SM誌で[[SMモデル]]になった女子大生も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またこの年は『[[オレンジピープル]]』を中心に[[スワップ誌]]が一世を風靡し、[[スワッピング・ブーム]]が巻き起こった。スワッピング・ブームの中心世代は40代～50代の夫婦であったが、各スワップ誌で素人のスワッピング・サークルが“単独女性”を募集し、女子大生達もスワッピング・ブームに大量に流れた。（テレビ朝日『[[トゥナイト]]』による）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「オールナイトフジの放送開始」===&lt;br /&gt;
[[1983年]]、[[フジテレビ]]が女子大生を主役にした深夜の生放送番組『[[オールナイトフジ]]』の放送を開始し、女子大生ブームは新たな展開を見せ始める。この番組の目玉である現役女子大生から成る[[オールナイターズ]]は、女子大生ブームのシンボルとしてアイドル並みの人気を誇った。オールナイトフジには性風俗コーナーがあり、番組に性風俗業者が多数登場した。オールナイターズからも“オールナイターズ随一の美女”と言われた[[高野みどり]]をはじめ、約5人がAVデビューしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「新風俗営業法」と「第1次女子大生ブームの終焉」===&lt;br /&gt;
[[1985年]]、女子大生ブームと性風俗産業の結びつきに危機感を抱いた[[中曽根康弘]]政権は、[[郵政省]]を使ってフジテレビ等に圧力をかけ、『オールナイトフジ』は放送終了となった。（このあと性風俗情報を排除した『[[オールナイトフジII]]』がスタート）。同じく中曽根政権は[[新風俗営業法]]を施行してノーパン喫茶をはじめとする性風俗産業に大打撃を与えた。ここに1980年から5年間続いた女子大生ブームは沈静化の方向へ向かい始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「オールナイトフジII」と「第2次女子大生ブーム」===&lt;br /&gt;
以後、『オールナイトフジII』を中心とする穏やかな女子大生ブームに移行し、これを[[第2次女子大生ブーム]]という。第2次女子大生ブームの中心になったのは、“元祖AVタレント”であり“元祖高学歴AV嬢”でもある横浜国大・[[黒木香]]（AV嬢）らである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「女子高生ブーム」と「女子大生の没落」===&lt;br /&gt;
90年代前半になると[[ミニスカ]]＆[[ルーズソックス]]姿の[[女子高生]]が、[[援助交際]]をしながら[[女子高生ブーム]]を起こした。これと反比例して女子大生のブランド価値が急激に低下し、女子大生は女子高生に圧倒されてゆく。[[1996年]]、[[援交ブーム]]がピークを迎えるともはや女子大生ブームという言葉は死語となり、女子大生が女子高生に迎合して女子高生の真似をする時代となった（女子大生の女子高生化現象）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「キャンパスナイトフジの放送開始」と「『ミスキャンパス通信』シリーズ」===&lt;br /&gt;
2007年、18年ぶりの女子大生番組、『[[キャンパスナイトフジ]]』（フジテレビ）がスタートした。翌08年、AV『[[ミスキャンパス通信]]』シリーズの販売が開始された。このシリーズは（大学の）[[学園祭]]の[[ミスコン]]優勝者がAVに出演するものである。[[ミス東大]]・[[ミス学習院]]・[[ミス青山]]など、10年末までに既に26人のミスキャンパスがAVデビューしている（ミス東洋大のAV女優・[[木内美保]]は同シリーズに含まず）。このシリーズは「『[[現役ミスキャンパス通信]]』シリーズ」となって今日に至っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように00年代後半から“女子大生は誘われれば誰でもAVにでる時代”となり、性風俗産業において小規模な女子大生ブームが続いている。&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:しよしたいせいふうむ}}&lt;br /&gt;
[[Category:風俗]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>110.135.21.34</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://34.219.76.139/mediawiki/index.php?title=%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%A4%A7%E7%94%9F%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A0&amp;diff=137936</id>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;110.135.21.34: /* 「フジテレビの軽チャー路線」と「女子大生ブーム」 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''女子大生ブーム'''（じょしだいせいブーム）とは、[[1980年代]]にテレビ局を中心とするマスコミが[[女子大生]]を番組に出演させるなど女子大生を取り上げたことにより、女子大生が社会的ステイタスを獲得してもてはやされた、一連のムーブメントのこと。女子大生ブームは[[社会現象]]となって[[性風俗]]産業から大きな影響を受け、両者は“表裏一体の関係”にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「ノーパン喫茶の誕生」と「女子大生ノーパン嬢」===&lt;br /&gt;
[[1978年]]に[[京都]][[河原町]]で[[ノーパン喫茶]]が誕生し、[[大阪]]・京都を中心とする[[関西]]でブームになった。このとき破格の高[[時給]]に影響され、現役[[女子大生]]が大量に[[ノーパン嬢]]となった。これを[[女子大生ノーパン嬢]]という。このような現象は[[70年代]]前半には[[学生運動]]をしていた女子大生にとって初めてのことであり、ノーパン喫茶は“女子大生にとって風俗の入り口”となった。以後、関西では女子大生が[[性風俗]]の担い手として活躍し始める（[[関東]]は[[1981年]]から）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しまだ===「フジテレビの軽チャー路線」と「女子大生ブーム」===&lt;br /&gt;
ほぼ同じ頃、東京の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で[[オーナー]]一族である[[鹿内家]]をめぐるお家騒動が起きた。これは初代[[フジサンケイグループ]]議長の[[鹿内信隆]]が死去したあと、信隆の長男・[[鹿内春雄]]を中心とする鹿内ファミリーをフジテレビから追放したクーデターであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このクーデター劇によりフジテレビは企業理念を70年代の『母と子のフジテレビ』から『面白くなくなければテレビじゃない』に180度大転換し、いわゆる“[[軽チャー路線]]”を邁進した。このフジテレビ軽チャー路線から[[1980年]]に誕生したのが[[女子大生ブーム]]と[[漫才ブーム]]（[[ビートたけし]]、[[島田紳助]]等）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女子大生ブームの主役は現役女子大生達であったが、事実上の主役は女子大生番組（主に[[生放送]]）司会、[[山城新伍]]であった。また、女子大生達の中から[[青山学院大]]の[[川島めぐ美]]らが芸能界デビューし、[[女子大生タレント]]の先駆けとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「クリスタル族」と「ボートハウスのトレーナー」===&lt;br /&gt;
同年[[1980年]]、学生作家の[[田中康夫]]が小説『[[なんとなくクリスタル]]』を発表しベストセラーとなった。ここに[[クリスタル族]]が誕生し、小説『なんとなくクリスタル』は[[1981年]]に[[かとうかず子]]主演で映画化されブームに拍車をかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃、[[ハマトラ]]（横浜トラッド）の影響を受け、いわゆる“女子大生ファッション”がブームとなった。これを後押ししたのが[[ボートハウスのトレーナー]]の一大ブームである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「ノーパン喫茶の関東制覇」と「アダルトビデオの誕生」===&lt;br /&gt;
翌[[1981年]]、ノーパン喫茶が東京を中心とする関東地方を制覇し、全国的にノーパン喫茶ブームが起こると、女子大生達、特に女子大生番組に出演していた女子大生の多くが、大量に女子大生ノーパン嬢となった。当時のノーパン喫茶は[[全裸]]に[[超ミニ]]、またはＴシャツに超ミニという格好で、ほとんどストリップ状態であった。さらに彼女達は、前年[[1980年]]に発生した[[アダルトビデオ]]の大ブームに巻き込まれ、その多くが[[女子大生AV嬢]]となった。彼女達は[[元祖AV女優]]に含まれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「SMブーム」と「空前のスワッピング・ブーム」===&lt;br /&gt;
同年1981年、[[第2次SMブーム]]が発生して[[SM誌]]が多数創刊されると、その影響でアダルトビデオでも[[アートビデオ]]などのSMビデオがブームになった。当然のことながら、女子大生AV嬢の中でSMビデオに出演する者も多かった。SM誌で[[SMモデル]]になった女子大生も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またこの年は『[[オレンジピープル]]』を中心に[[スワップ誌]]が一世を風靡し、[[スワッピング・ブーム]]が巻き起こった。スワッピング・ブームの中心世代は40代～50代の夫婦であったが、各スワップ誌で素人のスワッピング・サークルが“単独女性”を募集し、女子大生達もスワッピング・ブームに大量に流れた。（テレビ朝日『[[トゥナイト]]』による）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「オールナイトフジの放送開始」===&lt;br /&gt;
[[1983年]]、[[フジテレビ]]が女子大生を主役にした深夜の生放送番組『[[オールナイトフジ]]』の放送を開始し、女子大生ブームは新たな展開を見せ始める。この番組の目玉である現役女子大生から成る[[オールナイターズ]]は、女子大生ブームのシンボルとしてアイドル並みの人気を誇った。オールナイトフジには性風俗コーナーがあり、番組に性風俗業者が多数登場した。オールナイターズからも“オールナイターズ随一の美女”と言われた[[高野みどり]]をはじめ、約5人がAVデビューしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「新風俗営業法」と「第1次女子大生ブームの終焉」===&lt;br /&gt;
[[1985年]]、女子大生ブームと性風俗産業の結びつきに危機感を抱いた[[中曽根康弘]]政権は、[[郵政省]]を使ってフジテレビ等に圧力をかけ、『オールナイトフジ』は放送終了となった。（このあと性風俗情報を排除した『[[オールナイトフジII]]』がスタート）。同じく中曽根政権は[[新風俗営業法]]を施行してノーパン喫茶をはじめとする性風俗産業に大打撃を与えた。ここに1980年から5年間続いた女子大生ブームは沈静化の方向へ向かい始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「オールナイトフジII」と「第2次女子大生ブーム」===&lt;br /&gt;
以後、『オールナイトフジII』を中心とする穏やかな女子大生ブームに移行し、これを[[第2次女子大生ブーム]]という。第2次女子大生ブームの中心になったのは、“元祖AVタレント”であり“元祖高学歴AV嬢”でもある横浜国大・[[黒木香]]（AV嬢）らである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「女子高生ブーム」と「女子大生の没落」===&lt;br /&gt;
90年代前半になると[[ミニスカ]]＆[[ルーズソックス]]姿の[[女子高生]]が、[[援助交際]]をしながら[[女子高生ブーム]]を起こした。これと反比例して女子大生のブランド価値が急激に低下し、女子大生は女子高生に圧倒されてゆく。[[1996年]]、[[援交ブーム]]がピークを迎えるともはや女子大生ブームという言葉は死語となり、女子大生が女子高生に迎合して女子高生の真似をする時代となった（女子大生の女子高生化現象）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「キャンパスナイトフジの放送開始」と「『ミスキャンパス通信』シリーズ」===&lt;br /&gt;
2007年、18年ぶりの女子大生番組、『[[キャンパスナイトフジ]]』（フジテレビ）がスタートした。翌08年、AV『[[ミスキャンパス通信]]』シリーズの販売が開始された。このシリーズは（大学の）[[学園祭]]の[[ミスコン]]優勝者がAVに出演するものである。[[ミス東大]]・[[ミス学習院]]・[[ミス青山]]など、10年末までに既に26人のミスキャンパスがAVデビューしている（ミス東洋大のAV女優・[[木内美保]]は同シリーズに含まず）。このシリーズは「『[[現役ミスキャンパス通信]]』シリーズ」となって今日に至っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように00年代後半から“女子大生は誘われれば誰でもAVにでる時代”となり、性風俗産業において小規模な女子大生ブームが続いている。&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:しよしたいせいふうむ}}&lt;br /&gt;
[[Category:風俗]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>110.135.21.34</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://34.219.76.139/mediawiki/index.php?title=%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%A4%A7%E7%94%9F%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A0&amp;diff=137935</id>
		<title>女子大生ブーム</title>
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				<updated>2011-09-12T17:15:21Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;110.135.21.34: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''女子大生ブーム'''（じょしだいせいブーム）とは、[[1980年代]]にテレビ局を中心とするマスコミが[[女子大生]]を番組に出演させるなど女子大生を取り上げたことにより、女子大生が社会的ステイタスを獲得してもてはやされた、一連のムーブメントのこと。女子大生ブームは[[社会現象]]となって[[性風俗]]産業から大きな影響を受け、両者は“表裏一体の関係”にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「ノーパン喫茶の誕生」と「女子大生ノーパン嬢」===&lt;br /&gt;
[[1978年]]に[[京都]][[河原町]]で[[ノーパン喫茶]]が誕生し、[[大阪]]・京都を中心とする[[関西]]でブームになった。このとき破格の高[[時給]]に影響され、現役[[女子大生]]が大量に[[ノーパン嬢]]となった。これを[[女子大生ノーパン嬢]]という。このような現象は[[70年代]]前半には[[学生運動]]をしていた女子大生にとって初めてのことであり、ノーパン喫茶は“女子大生にとって風俗の入り口”となった。以後、関西では女子大生が[[性風俗]]の担い手として活躍し始める（[[関東]]は[[1981年]]から）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「フジテレビの軽チャー路線」と「女子大生ブーム」===&lt;br /&gt;
ほぼ同じ頃、東京の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で[[オーナー]]一族である[[鹿内家]]をめぐるお家騒動が起きた。これは初代[[フジサンケイグループ]]議長の[[鹿内信隆]]が死去したあと、信隆の長男・[[鹿内春雄]]を中心とする鹿内ファミリーをフジテレビから追放したクーデターであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このクーデター劇によりフジテレビは企業理念を70年代の『母と子のフジテレビ』から『面白くなくなければテレビじゃない』に180度大転換し、いわゆる“[[軽チャー路線]]”を邁進した。このフジテレビ軽チャー路線から[[1980年]]に誕生したのが[[女子大生ブーム]]と[[漫才ブーム]]（[[ビートたけし]]、[[島田伸介]]等）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女子大生ブームの主役は現役女子大生達であったが、事実上の主役は女子大生番組（主に[[生放送]]）司会、[[山城新伍]]であった。また、女子大生達の中から[[青山学院大]]の[[川島めぐ美]]らが芸能界デビューし、[[女子大生タレント]]の先駆けとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「クリスタル族」と「ボートハウスのトレーナー」===&lt;br /&gt;
同年[[1980年]]、学生作家の[[田中康夫]]が小説『[[なんとなくクリスタル]]』を発表しベストセラーとなった。ここに[[クリスタル族]]が誕生し、小説『なんとなくクリスタル』は[[1981年]]に[[かとうかず子]]主演で映画化されブームに拍車をかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃、[[ハマトラ]]（横浜トラッド）の影響を受け、いわゆる“女子大生ファッション”がブームとなった。これを後押ししたのが[[ボートハウスのトレーナー]]の一大ブームである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「ノーパン喫茶の関東制覇」と「アダルトビデオの誕生」===&lt;br /&gt;
翌[[1981年]]、ノーパン喫茶が東京を中心とする関東地方を制覇し、全国的にノーパン喫茶ブームが起こると、女子大生達、特に女子大生番組に出演していた女子大生の多くが、大量に女子大生ノーパン嬢となった。当時のノーパン喫茶は[[全裸]]に[[超ミニ]]、またはＴシャツに超ミニという格好で、ほとんどストリップ状態であった。さらに彼女達は、前年[[1980年]]に発生した[[アダルトビデオ]]の大ブームに巻き込まれ、その多くが[[女子大生AV嬢]]となった。彼女達は[[元祖AV女優]]に含まれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「SMブーム」と「空前のスワッピング・ブーム」===&lt;br /&gt;
同年1981年、[[第2次SMブーム]]が発生して[[SM誌]]が多数創刊されると、その影響でアダルトビデオでも[[アートビデオ]]などのSMビデオがブームになった。当然のことながら、女子大生AV嬢の中でSMビデオに出演する者も多かった。SM誌で[[SMモデル]]になった女子大生も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またこの年は『[[オレンジピープル]]』を中心に[[スワップ誌]]が一世を風靡し、[[スワッピング・ブーム]]が巻き起こった。スワッピング・ブームの中心世代は40代～50代の夫婦であったが、各スワップ誌で素人のスワッピング・サークルが“単独女性”を募集し、女子大生達もスワッピング・ブームに大量に流れた。（テレビ朝日『[[トゥナイト]]』による）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「オールナイトフジの放送開始」===&lt;br /&gt;
[[1983年]]、[[フジテレビ]]が女子大生を主役にした深夜の生放送番組『[[オールナイトフジ]]』の放送を開始し、女子大生ブームは新たな展開を見せ始める。この番組の目玉である現役女子大生から成る[[オールナイターズ]]は、女子大生ブームのシンボルとしてアイドル並みの人気を誇った。オールナイトフジには性風俗コーナーがあり、番組に性風俗業者が多数登場した。オールナイターズからも“オールナイターズ随一の美女”と言われた[[高野みどり]]をはじめ、約5人がAVデビューしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「新風俗営業法」と「第1次女子大生ブームの終焉」===&lt;br /&gt;
[[1985年]]、女子大生ブームと性風俗産業の結びつきに危機感を抱いた[[中曽根康弘]]政権は、[[郵政省]]を使ってフジテレビ等に圧力をかけ、『オールナイトフジ』は放送終了となった。（このあと性風俗情報を排除した『[[オールナイトフジII]]』がスタート）。同じく中曽根政権は[[新風俗営業法]]を施行してノーパン喫茶をはじめとする性風俗産業に大打撃を与えた。ここに1980年から5年間続いた女子大生ブームは沈静化の方向へ向かい始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「オールナイトフジII」と「第2次女子大生ブーム」===&lt;br /&gt;
以後、『オールナイトフジII』を中心とする穏やかな女子大生ブームに移行し、これを[[第2次女子大生ブーム]]という。第2次女子大生ブームの中心になったのは、“元祖AVタレント”であり“元祖高学歴AV嬢”でもある横浜国大・[[黒木香]]（AV嬢）らである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「女子高生ブーム」と「女子大生の没落」===&lt;br /&gt;
90年代前半になると[[ミニスカ]]＆[[ルーズソックス]]姿の[[女子高生]]が、[[援助交際]]をしながら[[女子高生ブーム]]を起こした。これと反比例して女子大生のブランド価値が急激に低下し、女子大生は女子高生に圧倒されてゆく。[[1996年]]、[[援交ブーム]]がピークを迎えるともはや女子大生ブームという言葉は死語となり、女子大生が女子高生に迎合して女子高生の真似をする時代となった（女子大生の女子高生化現象）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「キャンパスナイトフジの放送開始」と「『ミスキャンパス通信』シリーズ」===&lt;br /&gt;
2007年、18年ぶりの女子大生番組、『[[キャンパスナイトフジ]]』（フジテレビ）がスタートした。翌08年、AV『[[ミスキャンパス通信]]』シリーズの販売が開始された。このシリーズは（大学の）[[学園祭]]の[[ミスコン]]優勝者がAVに出演するものである。[[ミス東大]]・[[ミス学習院]]・[[ミス青山]]など、10年末までに既に26人のミスキャンパスがAVデビューしている（ミス東洋大のAV女優・[[木内美保]]は同シリーズに含まず）。このシリーズは「『[[現役ミスキャンパス通信]]』シリーズ」となって今日に至っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このように00年代後半から“女子大生は誘われれば誰でもAVにでる時代”となり、性風俗産業において小規模な女子大生ブームが続いている。&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:しよしたいせいふうむ}}&lt;br /&gt;
[[Category:風俗]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>110.135.21.34</name></author>	</entry>

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		<id>http://34.219.76.139/mediawiki/index.php?title=%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%A4%A7%E7%94%9F%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A0&amp;diff=137934</id>
		<title>女子大生ブーム</title>
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				<updated>2011-09-12T16:39:13Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;110.135.21.34: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''女子大生ブーム'''（じょしだいせいブーム）とは[[1980年代]]にテレビ局を中心とするマスコミが[[女子大生]]を番組に出演させるなど女子大生を取り上げたことにより、女子大生が社会的ステイタスを獲得してもてはやされた、一連のムーブメントのこと。女子大生ブームは性風俗産業から大きな影響を受け、両者は“表裏一体の関係”にあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「ノーパン喫茶の誕生」と「女子大生ノーパン嬢」===&lt;br /&gt;
[[1978年]]に[[京都]][[河原町]]で[[ノーパン喫茶]]が誕生し、京都・[[大阪]]でブームになった。このとき破格の高[[時給]]に影響され、現役[[女子大生]]が大量に[[ノーパン嬢]]となった。これを[[女子大生ノーパン嬢]]という。このような現象は[[70年代]]で初めてのことで、ノーパン喫茶は“女子大生にとって風俗の入り口”となった。以後、女子大生が[[性風俗]]の担い手として活躍し始める。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「フジテレビの軽チャー路線」と「女子大生ブーム」===&lt;br /&gt;
一方、ほぼ同じ頃、東京の[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で[[オーナー]]一族である[[鹿内家]]をめぐるお家騒動が起きた。これは初代[[フジサンケイグループ]]議長の[[鹿内信隆]]が死去したあと、信隆の長男・[[鹿内春雄]]を中心とする鹿内ファミリーをフジテレビから追放したクーデターであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このクーデター劇によりフジテレビは企業理念を70年代の『母と子のフジテレビ』から『面白くなくなければテレビじゃない』に180度大転換し、いわゆる“[[軽チャー路線]]”を邁進した。このフジテレビ軽チャー路線から[[1980年]]に誕生したのが[[女子大生ブーム]]と[[漫才ブーム]]（[[島田洋七]]、[[ビートたけし]]等）である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
女子大生ブームの主役は現役女子大生達であったが、事実上の主役は女子大生番組（主に[[生放送]]）司会、[[山城新伍]]であった。また、女子大生達の中から[[青山学院大学]]の[[川島めぐ美]]らが芸能界デビューし、[[女子大生タレント]]の先駆けとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「クリスタル族」と「ボートハウスのトレーナー」===&lt;br /&gt;
ほぼ同じ頃、学生作家の[[田中康夫]]が小説『[[なんとなくクリスタル]]』を発表しベストセラーとなった。この小説は[[かとうかずこ]]主演で映画化され、[[クリスタル族]]が一世を風靡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この頃、[[ハマトラ]]（横浜トラッド）の影響を受け、いわゆる“女子大生ファッション”がブームとなった。これを後押ししたのが[[ボートハウスのトレーナー]]の一大ブームである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
クリスタル族・女子大生ファッション・テレビ局発のムーブメント等が一体化し、ここに80年代前半の女子大生ブームが誕生した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「ノーパン喫茶の関東制覇」と「アダルトビデオの誕生」===&lt;br /&gt;
翌[[1981年]]、ノーパン喫茶が東京を中心とする関東地方を制覇し、全国的にノーパン喫茶ブームが起こると、女子大生達、特に女子大生番組に出演していた女子大生の多くが、大量に女子大生ノーパン嬢となった。当時のノーパン喫茶は[[全裸]]に[[超ミニ]]、またはＴシャツに超ミニという格好で、ほとんどストリップ状態であった。さらに彼女達は、前年[[1980年]]に発生した[[アダルトビデオ]]の大ブームに巻き込まれ、その多くが[[女子大生AV嬢]]となった。彼女達は[[元祖AV女優]]に含まれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「SMブーム」と「空前のスワッピング・ブーム」===&lt;br /&gt;
同年1981年、[[第2次SMブーム]]が発生して[[SM誌]]が多数創刊されると、その影響でアダルトビデオでもSM物がブームになった。当然ながら女子大生AV嬢の中でSMビデオに出演する者も多かった。SM誌で[[SMモデル]]になった女子大生も多い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
またこの年は『[[オレンジピープル]]』を中心に[[スワップ誌]]が一世を風靡し、[[スワッピング・ブーム]]が巻き起こった。スワッピング・ブームの中心世代は40代～50代の夫婦であったが、各スワップ誌で素人のスワッピング・サークルが“単独女性”を募集し、女子大生達もスワッピング・ブームに大量に流れた。（テレビ朝日『[[トゥナイト]]』による）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「オールナイトフジの放送開始」===&lt;br /&gt;
[[1983年]]、[[フジテレビ]]が女子大生を主役にした深夜の生放送番組『[[オールナイトフジ]]』の放送を開始し、女子大生ブームは新たな展開を見せ始める。この番組の目玉である現役女子大生から成る[[オールナイターズ]]は、女子大生ブームのシンボルとしてアイドル並みの人気を誇った。オールナイトフジには性風俗コーナーがあり、番組に性風俗業者が多数登場した。オールナイターズからも“オールナイターズ随一の美女”と言われた[[高野みどり]]をはじめ、約5人がAVデビューしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「新風俗営業法」と「第1次女子大生ブームの終焉」===&lt;br /&gt;
[[1985年]]、女子大生ブームと性風俗産業の結びつきに危機感を抱いた[[中曽根康弘]]政権は、[[郵政省]]を使ってフジテレビ等に圧力をかけ、『オールナイトフジ』は放送終了となった。（このあと性風俗情報を排除した『[[オールナイトフジII]]』がスタート）。同じく中曽根政権は[[新風俗営業法]]を施行してノーパン喫茶をはじめとする性風俗産業に大打撃を与えた。ここに1980年から5年間続いた女子大生ブームは沈静化の方向へ向かい始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「オールナイトフジII」と「第2次女子大生ブーム」===&lt;br /&gt;
以後、『オールナイトフジII』を中心とする穏やかな女子大生ブームに移行し、これを[[第2次女子大生ブーム]]という。第2次女子大生ブームの中心になったのは、“元祖AVタレント”であり“元祖高学歴AV女優”でもある横浜国大・[[黒木香]]（AV嬢）らであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「女子高生ブーム」と「女子大生の没落」===&lt;br /&gt;
90年代前半になると[[ミニスカ]]＆[[ルーズソックス]]姿の[[女子高生]]が、[[援助交際]]をしながら[[女子高生ブーム]]を起こした。これと反比例して女子大生のブランド価値が急激に低下。女子大生は女子高生に圧倒されてゆく。[[1996年]]、[[援交ブーム]]がピークを迎えるともはや女子大生ブームという言葉は死語となり、女子大生が女子高生に迎合して女子高生の真似をする時代となった（女子大生の女子高生化現象）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===「キャンパスナイトフジの放送開始」と「『ミスキャンパス通信』シリーズ」===&lt;br /&gt;
2007年、18年ぶりの女子大生番組、『[[キャンパスナイトフジ]]』（フジテレビ）がスタートした。翌08年、AV『[[ミスキャンパス通信]]』シリーズの販売が開始された。このシリーズは（大学の）[[学園祭]]の[[ミスコン]]優勝者がAVに出演するものである。[[ミス東大]]・[[ミス学習院]]・[[ミス青山]]など、10年末までに既に26人のミスキャンパスがAVデビューしている（ミス東洋大のAV女優・[[木内美保]]は同シリーズに含まず）。このシリーズは「『[[現役ミスキャンパス通信]]』シリーズ」となって今日に至っている。このように00年代後半から女子大生は“誘われれば誰でもAVにでる時代”となり、性風俗産業において小規模な女子大生ブームが起きている。&lt;br /&gt;
{{デフォルトソート:しよしたいせいふうむ}}&lt;br /&gt;
[[Category:風俗]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>110.135.21.34</name></author>	</entry>

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