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		<title>Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<title>菅直人</title>
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				<updated>2012-01-01T12:19:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;218.222.118.26: /* その他 */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''菅 直人'''&amp;lt;ref&amp;gt;菅 直人の「直」の字は本当は2画目がやや斜めなのが正しい。&amp;lt;/ref&amp;gt;（かん なおと、[[1946年]][[10月10日]] - ）は[[日本]]の[[政治家]]。[[内閣総理大臣]]（[[菅内閣|第94代]]）、[[衆議院議員]]（10期）、[[民主党代表]]（第8代）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
閣僚としては[[厚生大臣]]（[[第1次橋本内閣|第85代]]）、[[財務大臣]]（[[鳩山由紀夫内閣|第13代]]）、[[内閣府特命担当大臣]]（[[科学技術政策担当大臣|科学技術政策担当]]、[[経済財政政策担当大臣|経済財政政策担当]]）、党職としては[[社会民主連合]]副代表、[[新党さきがけ]]副代表、[[民主党代表]]（初代・第3代・第8代）などを歴任した。&lt;br /&gt;
[[Image:菅直人　1.jpg|thumb|300px|菅直人]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
=== 生い立ち ===&lt;br /&gt;
1946年10月10日、[[山口県]][[宇部市]]に[[菅寿雄]]、純子の長男として生まれた（[[本籍地]]は[[岡山県]][[久米郡]][[福渡町]]（のち[[御津郡]][[建部町]]、現[[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]]建部町）。父[[菅寿雄|寿雄]]は地元の宇部曹達（現[[セントラル硝子]]）に勤める技術者から、のちに[[重役]]に出世した。ごく普通の[[サラリーマン]]家庭に育った直人は、何不自由なく、のびのびと育った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宇部市立神原小学校、琴芝小学校、神原中学校を経て、地元の進学校[[山口県立宇部高等学校|県立宇部高校]]に進む。宇部高校2年の夏に、父の転勤に伴って一家は東京[[三鷹市]]に引っ越した。[[東京都立小山台高等学校|都立小山台高校]]2年に編入し、卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[東京工業大学]][[理学部]]応用物理学科に入学。[[学生運動]]にのめり込んだ。「全学改革推進会議」を立ち上げ、リーダーとして活躍した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
きちんと卒業研究をしたいとの自身の意向により一年[[留年]]し、[[1970年]]に東工大を卒業。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 政界入り ===&lt;br /&gt;
[[Image:菅直人　2.jpg|thumb|300px|菅直人]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[市川房枝]]の選挙事務所代表を務め、選挙参謀として市川の当選に尽力したことが政界入りのきっかけ。その後、[[1976年]]の[[第34回衆議院議員総選挙|第34回衆院選]]に[[東京都第7区 (中選挙区)|東京都第7区]]（当時）から無所属で立候補し落選したが、こうした活動が[[江田三郎]]の目に止まり、誘われる形で[[社会民主連合|社会市民連合]]に参加。&lt;br /&gt;
[[1977年]]の[[第11回参議院議員通常選挙|第11回参院選]]では社会市民連合から出馬したがまたも落選し、[[1979年]]の[[第35回衆議院議員総選挙|第35回衆院選]]では社会市民連合から名称を変更した[[社会民主連合]]から出馬し、またも落選したが、[[1980年]]の[[第36回衆議院議員総選挙|第36回衆院選]]で初当選。[[土地]]問題などを中心に[[市民派]]の政策通として頭角を現した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1981年]]には[[丸山ワクチン]]の不可思議な不認可問題を追及し、後の[[薬害エイズ事件]]につながる[[官僚]]との対立姿勢を見せた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
社会民主連合では主な役職として1978年副代表、1985年に副書記長兼政策委員長を務めた。[[第38回衆議院議員総選挙|1986年の総選挙]]で社会民主連合は4議席を獲得したが、選挙直後に2人ずつ日本社会党会派と民社党会派に分かれて所属することになり（その結果民社党会派が日本共産党会派を数で上回り、議会内ポストを共産党会派に渡すことを阻止した）、菅は社会党会派に属した。この形式は、1990年の総選挙まで続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[国鉄分割民営化]]では民営化支持を表明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1992年]][[6月13日]]、[[PKO国会]]において、衆議院本会議で[[中西啓介]]・議員運営委員長の解任決議案に賛成の討論を行ったが、制限時間を過ぎても演説を続け、衛視に壇上から押し出され降壇させられるなど[[PKO協力法]]の成立に激しく抵抗した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 非自民連立政権から自社さ政権へ ===&lt;br /&gt;
[[Image:菅直人　3.jpg|thumb|300px|菅直人]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;KKライン&lt;br /&gt;
[[1993年]]に成立した[[細川護熙#細川政権|細川非自民連立政権]]では、[[衆議院]][[外務委員会|外務委員長]]に就任した。[[1994年]]の社会民主連合解散後は[[新党さきがけ]]に入党。[[村山内閣|村山自社さ連立政権]]では、新党さきがけ[[政策調査会長]]として、政策調整に当たった。当時の[[自由民主党政務調査会|自民党政務調査会長]]の[[加藤紘一]]とは「[[KKライン]]」と呼ばれ、この時代に「[[住宅金融専門会社|住専]]処理スキーム」が決定された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 厚生大臣として ====&lt;br /&gt;
[[1996年]][[1月]]、村山内閣総辞職後成立した[[第1次橋本内閣]]で[[厚生大臣]]（第74代）として入閣した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;薬害エイズ事件&lt;br /&gt;
:[[薬害エイズ事件]]の処理に当たり、当時官僚が無いと主張していた行政の明白な過ちを証明する“郡司ファイル”（当時の[[厚生省]]生物製剤課長・郡司篤晃がまとめていたのでこの別名がある）を菅直人指揮の下にプロジェクトを組んで発見させ、[[官僚]]の抵抗を押し切って提出。[[血液製剤]]による[[後天性免疫不全症候群|エイズ]]に感染した多くの被害者たちに対して、初めて[[行政]]の責任を認めた。薬害エイズ事件の被害者たちに菅が土下座をして謝罪した事で被害者の感動を呼び、この厚生大臣在職中に得た功績が、菅が現実に官僚と戦った稀有な政治家としての大きな人気・政治的資産獲得の基盤となり、後の民主党結党に繋がる事になる。さらにこの事件の菅の処理は、彼が対談を行っていた[[カレル・ヴァン・ウォルフレン]]らから、日本に初めて官僚の[[説明責任]]という概念を持ち込み、「アカウンタビリティ」という言葉を定着させた、と高く評価された。 &lt;br /&gt;
;不法投棄問題&lt;br /&gt;
:[[1996年]]8月、[[シュレッダーダスト]]の大量[[不法投棄]]で問題になった[[香川県]][[豊島 (香川県)|豊島]]（てしま）へ、厚生大臣としては初めて現地視察に入り、問題解決の端緒となった。またこの年に出版した著書『大臣』（[[岩波新書]]）は、前書きで自身が「現役の政治家が岩波新書から本を出すとは異例だが」と書く通り、前代未聞の出来事でベストセラーとなった。&lt;br /&gt;
;基礎年金番号制度の導入&lt;br /&gt;
:菅の厚生大臣在任中に、[[基礎年金番号]]制度の導入が[[閣議決定]]された（導入は[[小泉純一郎]]が厚相だった[[1997年]]1月で、当時総指揮を取っていたのは[[橋本龍太郎]]総理大臣（当時）であった）。そのため、2007年の[[年金記録問題]]（「消えた年金記録」問題）について責任を問う主張があった（自民党では[[2007年]]3月に、年金問題に関するパンフレットを作成し、当時の年金問題の責任者は菅直人であったと言う事を併せて示した。これについては自民党内からも批判の声が上がり、またそれに対して、菅は「言いがかり以外の何ものでもない」と反論した）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、衆議院の会議録(136-衆-厚生委員会-28号)によると1996年6月12日に国保、介護保険の件で年金からの天引きを提案。&lt;br /&gt;
これにより後に[[後期高齢者医療制度]]が問題化した際、[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]が年金からの天引きを批判するのはおかしいのではないかとの指摘もある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;O157とカイワレ問題&lt;br /&gt;
:{{see also|O157|風評被害}}&lt;br /&gt;
:また、[[1996年]]8月の[[O157]]騒動の時には、「大阪府内の業者が出荷した[[ダイコン#カイワレ|カイワレ大根]]が原因となった可能性は否定できない」と発表。その直後からカイワレ大根への[[風評被害]]が発生し、結果[[倒産]]・[[破産]]するカイワレ農家や業者（その大半が[[個人事業主|自営業者]]や[[中小企業|零細企業]]であった）が続出、[[自殺]]者まで出る事態となった。これらの経緯を受け、菅は記者会見の場でカイワレのサラダを食べることで、安全性のアピールを図った。その一方で、「O157以外の通常自然界に存在するはずの細菌も一切検出されなかったのだから、事件後消毒されたことは明白で証拠隠滅が図られた」などと主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この問題については東京と大阪でカイワレ業者らによる損害賠償請求訴訟が起こされ、双方とも第二審で公表方法の過失が認定され、国が敗訴した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大阪[[地方裁判所|地裁]]での判決について、菅は、ホームページ上で「十分な科学的根拠がない」と判決が認定した疫学調査は集団食中毒などでは極めて有効な調査方法であるとして「裁判官の判断は疑問」と反論した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 民主党時代 ===&lt;br /&gt;
==== 結党・初代党代表 ====&lt;br /&gt;
[[1996年]][[9月28日]]、[[新党さきがけ]]の[[鳩山由紀夫]]が[[民主党 (1996-)|旧民主党]]を旗揚げすると、これに菅も参加し、抽象的だった党の理念や政策を具体化した。菅は鳩山と共に[[党首|代表]]となり旧民主党がスタートした。結党当初は[[衆議院議員]]50人、[[参議院議員]]5人の計55人が参加した。[[1998年]][[4月27日]]に[[新進党]]分党後に誕生した統一会派「[[民主友愛太陽国民連合]]（民友連）」と合流して、新民主党を結成し、代表となる。合流当初は衆議院議員98人、参議院議員38人の136人が参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1998年]][[7月12日]]の[[第18回参議院議員通常選挙|第18回参院選]]で27議席を獲得する。[[橋本龍太郎]]首相は敗北の責任から[[内閣総辞職]]に追込まれた。[[総理大臣指名選挙]]では、[[小沢自由党]]と[[日本共産党]]は第一回投票から菅に投票し決選投票では[[公明]]・[[改革クラブ_(1998-2002)|改革クラブ]]・[[社民党]]・さきがけの支持もあり参議院では首相に指名されたが、[[衆議院の優越]]により衆議院の議決で指名された[[小渕恵三]]が首相となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1998年の[[金融国会]]では、「われわれの要求が受け入れられれば政府の退陣は求めない」と発言し、所謂[[政策新人類]]と呼ばれた自民党若手議員らとともに、[[金融関連再生法]]案の策定に励み、実際に丸呑みと揶揄されるほど、菅らの主張が受け入れられたが（ただし、菅は雑誌で[[不良債権]]発生当時の都市銀行役員等の刑事責任を問えと雑誌で発言した事があるが、これは受け入れられなかった）、[[小沢一郎]]らは「参院選で大勝した直後に政局にしないとは弱腰極まりない」と批判するなど、この言動に対する評価は二分された。菅の金融問題への対応は素早く、経済学者[[金子勝 (経済学者)|金子勝]]は[[朝まで生テレビ]]にて菅を、政治家としては最も早く金融に着目・解決のためのスキームをまとめさせたとして、菅の功績を高く評価する発言をしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1999年]]（平成11年）に2回行われた[[民主党代表選挙]]では、1月には再選するも[[松沢成文]]に善戦を許し、9月には鳩山由紀夫に敗北したが、党政策調査会長に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 二度目の党代表就任 ====&lt;br /&gt;
[[2000年]]（平成12年）に党幹事長に就任。[[2002年]]（平成14年）に党代表の鳩山由紀夫の辞任を受けて、党幹事長代理の[[岡田克也]]と党代表選挙を争い、党代表に再び就任した。その後、岡田には党幹事長就任を要請するなど党内融和を積極的に進めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
===== 民由合併・マニフェストの導入 =====&lt;br /&gt;
[[2003年]][[9月26日]]に[[小沢一郎]]が党首を務める自由党との合同を実現した（[[民由合併]]）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[11月9日]]の[[第43回衆議院議員総選挙|第43回衆院選]]では「[[高速道路]]の原則無料化」、「[[小学校]]低学年の30人以下の学級実現」などを[[マニフェスト]]（政策綱領）に掲げ、公示前勢力を大幅に上回る177議席を獲得し、[[比例代表]]では自民党を上回った。菅は党代表として、やがて[[衆院選]]を迎えるに当たり、時の小泉首相に対し、自民党はマニフェストを国民の前に提示するのかどうかを迫り、期限や事後チェック付きの政権公約としてのマニフェストと従来の公約との違いを自民党にも明確化するよう迫った経緯がある。小泉首相は、政党統一の政権公約として期限や事後チェックなどマニフェストとしての扱いを受けることを嫌い明言を避け続けていたが、実際に[[第43回衆議院議員総選挙|2003年衆院選]]が行なわれる段になると、小泉自民党を含む主要政党のほとんどが'''[[マニフェスト]]'''を掲げて選挙戦を戦うこととなり、結果として菅および民主党が日本におけるマニフェスト選挙の定着に大きな役割を果たすこととなった。菅個人は、この[[2003年衆院選]]において初めて比例を辞退して小選挙区のみで出馬し、比例上位優遇で国替えしてきた[[鳩山邦夫]]に完勝した（ただし、鳩山邦夫も[[比例復活]]）。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
===== 年金未納問題・党代表辞職へ =====&lt;br /&gt;
{{see also|政治家の年金未納問題}}&lt;br /&gt;
[[2004年]]6月、小泉首相との[[党首討論]]において、年金一元化を実行すると言いながらまったく着手しようとしない内閣の姿勢を「“[[オレオレ詐欺]]”ならぬ“'''やるやる詐欺'''”じゃないですか」と批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小泉内閣の閣僚の国民年金未納が相次いで発覚した際、菅は街頭演説で「ふざけてますよね。“'''[[未納三兄弟]]'''”っていうんですよ」と自民党議員を批判し、年金未納問題に火を付けることとなった（“'''[[未納三兄弟]]'''”は、[[1999年]]に流行った歌“[[だんご3兄弟]]”にちなむ）。年金未納閣僚は、3人に留まらず、その後も続々と発覚し続けた。これをチャンスと捉えて民主党「次の内閣」全員の国民年金納付書を公開して国民にアピールしようとしたところ、菅自身の厚生大臣時代の年金未払い記録が明らかとなった。菅は行政側のミスであると何度も主張したが、行政側がその都度強く否定し、マスコミ報道等による世論の風当たりにより、同年5月10日に党代表を辞任せざるを得ない状況に追い込まれた。菅の代表辞任後に厚生労働省自身が、菅の主張を認めて謝罪し、菅の厚生大臣時代の国民年金未納期間も国民年金に加入していたということに訂正された。菅が主張したとおり国民年金の資格喪失は「行政上のミス」によるものであるにも関わらず、事後納付もできないため、未納は解消されず（未納期間2ヶ月）、「自身の無年金のおかしさに気付き、対応しなかったのは、政治家としてうかつさがあった」といった指摘もなされた&amp;lt;ref&amp;gt;2004年7月17日毎日新聞、[[岩見隆夫]]「近聞遠見：菅さんにお詫びします」&amp;lt;/ref&amp;gt;。この点につき自身は、年金の専門家であるはずの社会保険庁職員でさえ誤った手続きをしてしまう現状の年金制度の複雑さを指摘し、一元化を目指すべきだとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年7月、菅は年金未納騒動を吹っ切り自己を見つめ直したいという意図から伝統的な「お[[遍路]]さん」スタイルで[[四国八十八カ所]]巡りを開始した。また、この間[[法政大学]][[大学院]]の[[客員教授]]に就任し、「[[国民主権]]論」と題して[[講義]]を行った 。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2005年]][[9月11日]]の[[第44回衆議院議員総選挙|第44回衆院選]]（[[小泉純一郎|小泉]][[首相]]の[[衆議院解散|解散]]による郵政選挙）では、[[東京都]]の民主党候補では僅差ながらも唯一[[小選挙区]]での勝利を果たした。なお、この郵政選挙では、長年の宿敵と言われた[[土屋正忠]][[武蔵野市|武蔵野]][[市長]]（当時）が自民党公認（比例単独2位）でついに立候補し、事実上の一騎打ちとなった。郵政民営化・刺客選挙を展開して時流に乗る自民党に対し、民主党は党全体が大逆風を受けていたが、そんな中、菅は全開票所で勝利し、面目を保った（土屋正忠候補は比例復活当選）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
同年[[9月17日]]民主党敗北を受けて党代表を辞任した[[岡田克也]]の後任を決める党代表選挙に立候補し、[[小沢一郎]]からも本命視されていたものの、投票直前の演説で若き日からの辛酸と情熱を巧みに訴えた若手の代表格[[前原誠司]]に2票差で敗れた。その後、党[[国会対策委員会|国会対策委員長]]就任を要請されたが、これを固辞し、一兵卒として前原民主党を支えると表明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
党代表戦に敗れた後は、[[団塊の世代]]を取り込むための「'''団塊党'''」なる運動や、[[バイオマス]]の活用を盛んに提唱し始めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 代表代行時代（トロイカ体制） ====&lt;br /&gt;
[[2006年]][[4月7日]]、「[[堀江メール問題]]」による前原執行部総退陣を受けて行われた代表選挙に再度立候補し、小沢一郎と激しく争い47票差で敗れた。その後、党代表代行に就任。[[2009年]][[5月]]に小沢が[[西松建設]]の違法献金疑惑に関連して自身の公設秘書が逮捕された件で辞任すると、後任の代表となった鳩山由紀夫により、引き続き党代表代行に再任された。党代表代行として国会論戦について主に担当した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;「子供の生産性」発言&lt;br /&gt;
2007年1月、[[柳澤伯夫]][[厚生労働大臣]]の「産む機械」発言が政治問題化した際、代表代行としてこれを批判したところ、2月6日、[[自由民主党|自民党]][[中川秀直]][[自由民主党幹事長|幹事長]]によって、「東京は日本で一番生産性の低い大都市。何の生産性か、それは子どもの出生率において…」という民主党大会（[[2007年]][[1月]]）における菅の演説が中川のホームページで取り上げられ、「出生率と生産性を結びつけるということは、出産と機械が結びつくことではないのか」と反撃されたのを皮切りに、翌日、[[公明党]]議員からも、[[名古屋市]]内での演説（2007年1月18日）や、[[山陰中央新報]]のインタビュー（2006年8月5日）における同様の発言を非難され、波紋を呼んだ。これら「産む生産性」発言の真意については、「12月の衆院本会議で同様の趣旨の発言をしているので議事録を読んでください」、「生産性のいい景気のいい地域では、出生率の点では低いところが多い」と弁明した後、自身のホームページで「[[広辞苑]]によれば、生産という言葉には出産という意味がある」と反論した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;東京都知事選挙&lt;br /&gt;
[[2007年]][[4月]]の[[2007年東京都知事選挙|東京都知事選挙]]への出馬待望論が民主党内でたびたび沸き起こった。背景には民主党が都議会で与党だったにも関わらず独自候補の擁立を図る小沢執行部の方針と人選がなかなか決まらぬお家事情があり、党中央の要職にある菅本人が出馬の可能性を否定し続ける中、[[石原慎太郎|石原]]都知事に対抗できる目玉候補として[[朝日新聞]]などにも立候補を促され続けたが、これまでどおり「国政に携わり政権交代を実現する」ため「太陽が西から出ても、出ることはない」と固辞を貫いた。その一方で[[浅野史郎]]前[[宮城県]]知事など党内外の知名度の高い人物に出馬を打診したとされるがことごとく失敗した。この問題では、菅直人と親交関係にある[[五十嵐敬喜]][[法政大学]][[教授]]らが立ち上げた[[市民活動|市民団体]]「浅野史郎さんのハートに火をつける会」（現[[都民のハートに火をつける会]]）などの説得に応える形で浅野が立候補を決意したことで、民主党は独自候補の擁立を見送って[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]などとともに支援に回ることとなった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;道路特定財源・暫定税率問題&lt;br /&gt;
2008年2月、民主党道路特定財源・暫定税率問題対策本部長として、小沢代表のもとで[[ガソリン国会]]の陣頭指揮を取り、国会論戦、テレビ出演、地方視察を精力的に行う。&lt;br /&gt;
自民党の[[二階俊博]]、[[古賀誠]]のことを「なんとしても道路利権を守ろうという決意が表れている「利権顔」」と発言した。これに対して、二階は身体的特徴をあげつらう差別発言ではないかと反論した。また同年3月、日銀総裁の後任人事をめぐり、民主党は[[武藤敏郎]]副総裁の人事に反対したが、大蔵省出身というだけではなく大蔵省の利権顔、「ミスター大蔵省」だと発言した（2008年3月8日NHKの番組で）。さらに、その後街頭遊説において、「みなさん、自民党[[道路族]]は威張っているが、じつは国土交通省の利権を守る番犬なんですからね」と述べ、道路族幹部を重ねて激しく批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
;麻生内閣に対して&lt;br /&gt;
[[麻生内閣]]発足後は、[[衆議院解散]]・[[総選挙]]を一刻も早く行い、国民の信を問うべきであるとの主張を続けていた。また最近は衆議院予算委員会で度々質問に立ち、菅の質問、麻生の答弁がマスコミに頻繁に取り上げられた。&lt;br /&gt;
*[[東京都]][[町田市]]の街頭演説会で[[麻生内閣]]が[[景気]]対策として提案している[[定額給付金]]を[[毒まんじゅう]]として「（[[通常国会]]召集の日までに）'''毒まんじゅう'''を分離する予算修正案を用意し、国会に出したい。'''毒まんじゅう分離法案'''を与野党で通して[[雇用]]対策などを実行し、解散して国民の信を問うべきだ」と語った。&lt;br /&gt;
*2009年2月4日、衆院予算委員会で麻生首相に「民主党の経済対策は真水で57兆円、総額87兆円。この方が国民のためになる」とアピールした。これに対し、[[与謝野馨]]経済財政担当相は「数字の競争ならばいくらでもできる」と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 鳩山由紀夫内閣 ====&lt;br /&gt;
2009年9月16日、[[鳩山由紀夫内閣]]発足により、[[内閣府特命担当大臣]]（[[経済財政政策担当大臣|経済財政政策]]・[[総合科学技術会議|科学技術政策]]担当）に就任した。あわせて、国務大臣として「税財政の骨格や経済運営の基本方針等について企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」も担当することになった。[[内閣法]]第9条に基づく内閣総理大臣臨時代理の指定順位は第1位となり、いわゆる「[[副総理]]」格としての入閣となった。ポスト鳩山の呼び声もあるが、国家戦略局設置のための法案の年内での国会提出が見送られ、その前身となる国家戦略室もうまく稼動していないとされ、閣内における存在感を発揮し切れていないと評されることもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[2010年]][[1月7日]]、[[財務大臣]]の[[藤井裕久]]の体調不良による辞任に伴い、後任の財務大臣に横滑りの形で就任した。また、[[内閣府特命担当大臣]]（経済財政政策担当）は続投する。なお、これまで務めていた職務のうち、「税財政の骨格や経済運営の基本方針等について企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」に関する職務は内閣府特命担当大臣（行政刷新担当）の[[仙谷由人]]が、内閣府特命担当大臣（科学技術政策担当）は[[文部科学大臣]]の[[川端達夫]]がそれぞれ兼務する形で引き継がれた。鳩山内閣の支持率が低下する中、菅は各種世論調査で「次期首相にふさわしい人物」の上位に位置するなどポスト鳩山の有力候補の一人と目された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
==== 内閣総理大臣 ====&lt;br /&gt;
[[2010年]][[6月2日]]の鳩山首相の退陣表明を受け、後継を選出する民主党代表選挙への出馬を表明。[[6月4日]]、[[2010年民主党代表選挙]]にて勝利し、同日の[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名選挙]]によって第94代[[内閣総理大臣]]に指名され、[[6月8日]]に正式に就任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 年譜 ===&lt;br /&gt;
* [[1946年]][[10月10日]]、[[山口県]][[宇部市]]で出生（父・[[菅寿雄|寿雄]]、母・純子）。[[本籍地]]は[[岡山県]][[久米郡]][[福渡町]]（のち[[御津郡]][[建部町]]、現[[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]]建部町）。&lt;br /&gt;
* [[1959年]][[3月]]、宇部市立琴芝小学校卒業。&lt;br /&gt;
* [[1962年]][[3月]]、宇部市立神原中学校卒業。&lt;br /&gt;
* [[1962年]][[4月]]、[[山口県立宇部高等学校]]入学。&lt;br /&gt;
* [[1963年]]夏、父親の転勤に伴い、[[東京都立小山台高等学校]]に編入。&lt;br /&gt;
* [[1965年]][[3月]]、東京都立小山台高等学校卒業&lt;br /&gt;
* 1965年4月、父親の母校でもある[[東京工業大学]][[理学部]][[応用物理学|応用物理学科]]に入学。&lt;br /&gt;
* [[1970年]][[3月]]、[[東京工業大学]][[理学部]][[応用物理学|応用物理学科]]を卒業。&lt;br /&gt;
* [[1971年]]、[[弁理士]]試験に合格。&lt;br /&gt;
* [[1974年]]、[[市川房枝]]を[[第10回参議院議員通常選挙]]に担ぎ、選挙事務長を務め、当選させる。&lt;br /&gt;
* [[1976年]][[12月5日]]、[[第34回衆議院議員総選挙]]に[[東京都第7区 (中選挙区)|旧東京7区]]から[[無所属]]で出馬し落選。&lt;br /&gt;
* [[1977年]][[7月10日]]、[[第11回参議院議員通常選挙]]で[[社会市民連合]]から出馬し落選。&lt;br /&gt;
* [[1978年]]、[[社会民主連合]]副代表に就任。&lt;br /&gt;
* [[1979年]][[10月7日]]、[[第35回衆議院議員総選挙]]で社会民主連合から出馬し落選。&lt;br /&gt;
* [[1980年]][[6月22日]]、[[第36回衆議院議員総選挙]]で初当選。&lt;br /&gt;
* [[1983年]][[12月18日]]、[[第37回衆議院議員総選挙]]で当選（2期目）。&lt;br /&gt;
* [[1985年]]、党副[[書記長]]兼政策委員長に就任。&lt;br /&gt;
* [[1986年]][[7月6日]]、[[第38回衆議院議員総選挙]]で当選（3期目）。&lt;br /&gt;
* [[1990年]][[2月18日]]、[[第39回衆議院議員総選挙]]で当選（4期目）。&lt;br /&gt;
* [[1993年]][[7月18日]]、[[第40回衆議院議員総選挙]]で当選（5期目）。&lt;br /&gt;
* [[1994年]]、社会民主連合の解散に伴い、[[新党さきがけ]]に入党。後に党政策調査会長に就任。&lt;br /&gt;
* [[1996年]][[1月11日]]、[[第1次橋本内閣]]で[[厚生大臣]]（第74代）として入閣。&lt;br /&gt;
* 1996年[[9月28日]]、[[鳩山由紀夫]]と[[民主党 (日本 1996-1998)|民主党]]を結成。鳩山と共に共同代表に就任。&lt;br /&gt;
* 1996年[[10月20日]]、[[第41回衆議院議員総選挙]]に[[東京18区]]より立候補し当選(6期目）。&lt;br /&gt;
* [[1998年]][[4月27日]]、[[民主党 (日本 1998-)|新民主党]]の代表に就任。&lt;br /&gt;
* [[1999年]][[9月]]、党代表選挙で鳩山由紀夫に敗北。党政策調査会長に就任。&lt;br /&gt;
* [[2000年]]、党[[幹事長]]に就任。&lt;br /&gt;
* 2000年[[6月25日]]、[[第42回衆議院議員総選挙]]で当選（7期目）。&lt;br /&gt;
* [[2002年]][[12月]]、代表選挙で[[岡田克也]]を破り党代表に就任。&lt;br /&gt;
* [[2003年]][[11月9日]]、[[第43回衆議院議員総選挙]]でともに旧民主党結党時のメンバーだった[[自民党]]公認の[[鳩山邦夫]]を破って当選（8期目）。鳩山邦夫は比例で復活。&lt;br /&gt;
* [[2004年]][[5月]]、[[年金未納]]が発覚して代表を辞任。&lt;br /&gt;
* [[2005年]][[4月]]、法政大学大学院の客員教授に就任、講義を行う（2005年10月まで）。&lt;br /&gt;
* [[2005年]][[9月11日]]、[[第44回衆議院議員総選挙]]で地方選挙で長年の宿敵であった[[土屋正忠]]前[[武蔵野市]]長を小選挙区で破り当選（9期目）。土屋正忠は比例で復活。東京の小選挙区では唯一の当選者となる。&lt;br /&gt;
* 2005年[[9月17日]]、衆院選敗北を受けて岡田が党代表を辞任する。党代表選挙に立候補して、前原誠司に敗北。&lt;br /&gt;
* [[2006年]][[4月7日]]、[[堀江メール問題]]で前原[[執行部]]が退陣。党代表選挙に再度立候補して小沢一郎に敗北。党代表代行に就任。&lt;br /&gt;
* [[2009年]][[5月17日]]、小沢に替わり党代表となっている鳩山由紀夫により党代表代行に再任。&lt;br /&gt;
* 2009年[[8月30日]]、[[第45回衆議院議員総選挙]]で当選（10期目）。&lt;br /&gt;
* 2009年[[9月16日]]、鳩山由紀夫内閣の副総理兼内閣府特命担当大臣に就任。&lt;br /&gt;
* 2010年[[1月7日]]、財務大臣に就任。同時に国家戦略担当国務大臣及び科学技術政策担当国務大臣は退任。&lt;br /&gt;
* 2010年[[3月19日]]、民主党東京都連会長辞任(後任は、民主党東京都連通常総会開催まで[[海江田万里]]衆議院議員が民主党東京都連会長職務代行に就任)。&lt;br /&gt;
* 2010年[[6月4日]]、民主党第8代代表に就任。同日、第94代内閣総理大臣に指名。同年[[6月8日]]、内閣総理大臣に就任。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な政策・主張 ==&lt;br /&gt;
* 防衛に関しては、[[自衛隊]]に治安維持活動、国際協力を行う部隊の創設を政策として持っている。&lt;br /&gt;
* [[台湾問題]]に関しては[[台湾]]の国連加盟を[[中国]]が容認し、国連加盟国同士の問題として[[国際連合|国連]]の場で平和的解決を目指すべきと主張している。&lt;br /&gt;
* [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致問題]]・[[北朝鮮核問題|核問題]]について、政府の対応とは異なる発想の解決を目指すべきだと提唱。菅は新人議員時代に菅の先輩議員にあたる[[田英夫]]の求めに応じ、[[辛光洙|在日韓国人政治犯釈放の要望書]]に署名。この中には後年明らかとなる[[北朝鮮による日本人拉致問題]]の[[容疑者]][[辛光洙]]をはじめとする北朝鮮スパイ容疑者10名が含まれていた。その事実を事前に看破できなかった{{要出典}}ことが、公明党・社会党など同じく署名を行った議員とともに批判をされた。しかしながら、近年の北朝鮮に関する言動は苛烈であり{{要出典}}、[[西村眞悟]]の選挙応援演説の際に「[[サッダーム・フセイン|フセイン]]や[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の銅像が倒れた歴史の中で、北朝鮮のあの大きな銅像も倒れる日が来ると確信している」と発言している。この発言をとりあげた北朝鮮当局は、菅直人はもともと信念も政策も何も無い政治家だと一方的に非難、激しく個人攻撃を行った。菅の拉致問題への政策は、拉致被害者全員の原状回復・核問題の解決・国交正常化・経済支援の三本柱を別々に行うのではなく、パッケージとして行う政策を提唱している&lt;br /&gt;
* 長崎県[[諫早湾]]干拓事業に対して、自然環境保全の観点から反対を表明していた。そして1997年4月、水門が閉められる正にその時間に現地事業事務所を訪問し、テレビカメラの前で「誰の指示でやっているのか。責任者を出せ」と述べた。&lt;br /&gt;
* 菅は自民党議員に多い[[世襲政治家|世襲]]を批判しているが、自身に関しては菅の長男である[[菅源太郎]]が、2003年の衆議院議員総選挙に菅家の本籍地でもある[[岡山1区]]から民主党公認候補として立候補した。この長男の立候補に関して菅は、[[三バン|地盤]]が全く異なっており、地盤・看板・カバンといった世襲の弊害の元を引き継いでおらず、世襲ではないと指摘。民主党内規では、同一選挙区の世襲を禁止しているため、菅の主張はこれに沿ったものと思われる。&lt;br /&gt;
*[[憲法改正論議]]に対しては、代表時代に「日本の国のあるべき姿を示す新たな憲法を作る」とした「創憲」を唱えており、「憲法発布から60年目に当たる2006年までに国民的運動を集約する形で民主党として新たな憲法のあり方を国民に示せるようにしたい」と主張していた。&lt;br /&gt;
* 首相の在任期間について「首相というのは少なくとも4年間は同じ人物が続けるべきだ。常々、鳩山首相にも言っている」と述べた。一方、参院選で自民党が大敗し、[[ねじれ国会]]となった際には「安倍首相が総理の座にいるかぎり国民が納得できる政治はできない」などと早急に辞任や解散をすべきと発言している。&lt;br /&gt;
* 日米関係について、「政治的には日米同盟が果たしてきた役割は大きかったし、これからもアジア、世界の安定のために最も重要な関係だ」と述べた。&lt;br /&gt;
* [[沖縄県]]の[[米軍]][[普天間基地]]移設問題について「基地問題はどうにもならない。もうタッチしたくない」と語っことを、[[民主党]]の[[参院議員]]、[[喜納昌吉]]が[[2010年]][[6月1日]]発売の著作『[[沖縄の自己決定権]]』の中で暴露した。『[[沖縄の自己決定権]]』によれば、[[喜納昌吉]]に対し「[[沖縄]]問題は重くてどうしようもない。もう[[沖縄]]は独立した方がいいよ」と語ったとされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 人物像 ==&lt;br /&gt;
=== 政治家として ===&lt;br /&gt;
* 高校時代に読んだ[[オルダス・ハクスリー]]の『[[すばらしい新世界]]』の影響を受け、自身の政治哲学として「'''最小不幸社会'''」の実現を掲げている。&lt;br /&gt;
* 「イラ菅」というニックネームが示すように、癇癪持ちで短気な性格で知られる。もっとも近年は丸くなったとの評も多い。&lt;br /&gt;
**厚生大臣時代は大臣室から怒鳴り声が漏れることもしばしばだった。&lt;br /&gt;
**[[2006年]]代表選では、かつて菅に怒鳴られた経験から支持を渋る若手のエピソードも紹介された。&lt;br /&gt;
**2009年1月13日の衆議院予算委員会において当時の自民党国会対策副委員長の[[村田吉隆]]が許可なくカメラ撮影していたのを発見し、即座に詰め寄って抗議をするなどしている。 &lt;br /&gt;
** [[首相]]就任後の[[2010年]][[6月11日]]、取材の[[記者団]]から、「[[所信表明演説]]について、具体性がないと言う批判があるが？」と言う質問をされ、一変した険しい表情で「何の批判か？」「何故批判が出ているのか？」などと、逆に記者を問い詰めた。&lt;br /&gt;
*政治家としての変わり身の早さから[[三木武夫]]、[[武村正義]]と並ぶ「バルカン政治家」（欧州の火薬庫といわれ駆け引きにあけくれた[[バルカン半島]]にちなむ）ともいわれ、「'''バル菅'''」とも称されている。&lt;br /&gt;
*[[中尾則幸]]は[[1998年]][[第18回参議院議員通常選挙]]で当初は[[北海道選挙区]]から出馬を希望していたが、定数4から2に変更されたことで92年初当選同期の現職[[峰崎直樹]]に同候補の座を奪われ比例区へ転出。さきがけ時代からの同志で中尾の後見人的存在であった幹事長代理鳩山由紀夫が民主党代表の菅に「くれぐれも、犠牲を払った中尾君が再選出来るように宜しく頼む」と上位にランクするように依頼したが結果は当選圏外。それ以後の鳩山は菅に対して不信感を露わにし、（中尾の友人）で[[ジャーナリスト]]の[[ばばこういち]]にまで吐露した。&lt;br /&gt;
* [[1980年]]の解散総選挙で議員に当選するまで、選挙で3回落選している（そのうち1回は[[参議院選挙]]）。また[[弁理士]]試験も3回落ちている。&lt;br /&gt;
* [[1978年]]度版の[[平凡社]]百科年鑑に名前が載るなど、議員になる前から市民運動家としてそれなりの知名度を持っていた。&lt;br /&gt;
* 当時菅の選挙を手伝っていた[[ジャーナリスト]]の[[下村健一]]（元[[TBSテレビ|TBS]][[アナウンサー]]）によると、「初当選から十年で[[自由民主党 (日本)|自民党]]に対抗しうる勢力をつくり、その後十年で天下をとる」話を聞かされていたという（因みに下村以外に当時学生だった[[久和ひとみ]]も菅の事務所に出入りしており、選挙の際はウグイス隊長を務めた。また、歌人の[[俵万智]]も久和の下で[[アナウンサー#選挙ウグイス|ウグイス嬢]]を務めた）。&lt;br /&gt;
* 自身の[[O157|O-157]]に関連する対応で[[ダイコン|カイワレ大根]]が打撃を受けた時には、カイワレ大根、[[牛海綿状脳症|狂牛病]]が騒がれると[[牛丼]]、[[トリインフルエンザ]]が騒がれると[[焼き鳥]]をそれぞれ食べた。自著『大臣』で、カイワレ大根を食べるプレゼンテーションは知り合いの雑誌編集者からのアドバイスだったことを明らかにしている。なお、カイワレ大根のパフォーマンスについては、[[東京地方裁判所|東京地裁]]の判決文において、「（カイワレ業者などが）納得するのであれば、批判の限りでない」が「（カイワレ大根がO-157に汚染されていたという）自ら招いた疑いを解くことができると期待してのことであれば、国民の知性を低く見過ぎるのではあるまいか」と批評されている。&lt;br /&gt;
* 2003年1月の衆院予算委員会において、当時の[[首相]]・[[小泉純一郎]]に対して国債30兆枠についての公約違反を厳しく追及し、「この程度の公約を守れなかったことは大したことではない」との失言を引き出したことがある。&lt;br /&gt;
*近年では自民党の[[山崎拓]]、加藤紘一、[[国民新党]]の[[亀井静香]]としばしば意見交換を交わすなど連携を深めており、4人の頭文字から「YKKK」とも称されている。山崎は2008年[[12月14日]]に4人そろって出演した[[テレビ朝日]]系の番組[[サンデープロジェクト]]内において「この4人が政界再編の一つの軸となり得る」と強調、その動向が注目された。&lt;br /&gt;
*民主党東京都総支部連合会の会長も務めている。『[[WILL]]』10月号において、「除名覚悟で民主政権を内部告発する！」と称する論文を掲載するなど、所属政党である民主党を激しく批判した[[板橋区]]選出[[東京都議会]]議員の[[土屋敬之]]に離党を勧告。土屋は、離党勧告の撤回と質問への回答を要求する抗議文を都連宛に送付している。&lt;br /&gt;
*1991年、所属する[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]の党議拘束が外された[[国旗及び国歌に関する法律|国旗国歌法]]案の議決の際、民主党の一部議員や[[日本共産党|共産党]]、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]と同じく、法案に反対した。また、一度も日本国歌である君が代を歌ったことはないと発言{{要出典}}したことがある。こういった経緯もあり、保守系勢力からの批判も多い。&lt;br /&gt;
*[[2010年]][[1月26日]]の[[参議院]][[予算委員会]]に[[財務大臣]]として出席し、「[[公共事業]]は、一兆円出したら一兆円の[[経済効果]]'''しかない'''」などと従来型[[公共事業]]を批判した上で、[[子ども手当]]の[[経済効果]]はそれを上回ると言う趣旨の発言をした。これに対し、[[自由民主党]]の[[林芳正]]委員から、「それは[[乗数効果]]のことを言っているのか」「[[子ども手当]]の[[乗数効果]]はいくらか？」などと質問され答に窮して[[質疑]]を止めて[[官僚]]を呼び、再開後「[[子ども手当]]の[[消費性向]]は70%を見込んでいる」と答弁した。&lt;br /&gt;
*これに対し、再び[[林芳正]]委員から「[[乗数効果]]と[[消費性向]]の違い」について質問されると、再び質疑を止めて[[官僚]]を呼び、再開後、最終的には「[[乗数効果]]についての計算はしていない」と答弁した。答弁ではこれらを含め、計４回、答弁を止めて[[官僚]]を呼んだ。このことについて、[[林芳正]]委員は、「よく整理をして、この[[政策]]の効果はこれぐらいだというのが、ばらばらばらばら[[役所]]の人が紙を持ってきて慌てて答えるというふうにならないようにしておいていただきたいと思います。」と苦言を呈した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== その他 ===&lt;br /&gt;
* 身長175㎝、体重70㎏。&lt;br /&gt;
* 趣味は[[スキューバダイビング]]（但しライセンスは未取得）、[[囲碁]]（[[小沢一郎]]とは20年来の囲碁仲間）。&lt;br /&gt;
* 歴史上の人物では[[兒玉源太郎|児玉源太郎]]を尊敬しており、長男の源太郎という名前はこれに因んでいる。&lt;br /&gt;
* 新党さきがけ政調会長に就任する以前は、[[東京都]][[武蔵野市]][[境]]の自己所有マンション（2室）に居住していたが、深夜・早朝のマスコミ対応を余儀なくされたため、周囲の住民への配慮から、同市[[吉祥寺|吉祥寺本町]]の[[借家]]に転居し、現在もそこに居住している。&lt;br /&gt;
*[[武蔵野市]]では元市長の[[土屋正忠]]と長年に渡って都議選での代理戦争など主導権争いを続けている。通称「土菅戦争」（どかんせんそう）と地元では呼ばれている。&lt;br /&gt;
* [[1999年]]に「[[週刊文春]]」で報じられた[[戸野本優子]]との[[不倫]]疑惑に関して菅自身は男女関係を否定。その際の「一夜は共にしたが男女関係はない」「（妻から）脇が甘いと言われた」という表現が、世間の[[流行語]]となった。愛妻家・[[恐妻家]]としても有名であり、不倫騒動後には「『バカたれ』と叱られた」と釈明した。&lt;br /&gt;
*酒好きで、酒を飲まないのは年に5日程度と発言している。また大福にウィスキーなど和菓子を肴に酒を飲むのを好む（テレビ出演時の発言）。&lt;br /&gt;
* 好きな食べ物は焼魚・漬物など和食党である。&lt;br /&gt;
* [[ネコ|猫]]好きであり、自宅には拾って来て育てている猫がいる。&lt;br /&gt;
* [[2004年]]に発生した[[新潟県中越地震]]によって発生した[[上越新幹線脱線事故]]について、公式ウェブサイトに「新幹線を迅速に止めるため、最後尾からパラシュートを出す」とのアイデアを紹介している。&lt;br /&gt;
* [[本宮ひろ志]]が、参議院選挙に全国区から立候補、選挙の様子をリアルタイムで執筆し連載する予定だった漫画『[[やぶれかぶれ (漫画) |やぶれかぶれ]]』に秘書らとともに、本宮の指南役として登場している。&lt;br /&gt;
* [[東京工業大学]]在学中に[[麻雀]]点数計算機を発明。[[特許]]を取得し、いくつかの企業に製品化を持ち掛けたが、実用化には至っていない。現在もその試作機が存在し、[[千葉県]][[いすみ市]]の[[麻雀博物館]]に展示されている。&lt;br /&gt;
* 元秘書に、[[秘書給与詐欺事件]]で実刑判決を受けた[[山本譲司]]がいる。&lt;br /&gt;
*2011年12月18日放送の[[たかじんのそこまで言って委員会]]で'''2011年ポンスケ大賞'''に選ばれた。[http://akiran1969.iza.ne.jp/blog/entry/2544868/][http://ameblo.jp/esw/entry-11116027089.html][http://varadoga.blog136.fc2.com/blog-entry-9094.html]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 主な所属議員連盟 ==&lt;br /&gt;
*[[日韓議員連盟]]&lt;br /&gt;
*[[民主党日韓議員交流委員会]]顧問&lt;br /&gt;
*[[日朝国交正常化推進議員連盟]]顧問&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 一族 ==&lt;br /&gt;
=== 家族・親族 ===&lt;br /&gt;
; 実家&lt;br /&gt;
*父 [[菅寿雄|寿雄]]（宇部曹達工業（現[[セントラル硝子]]）[[重役]]）&lt;br /&gt;
*母 純子（[[旧姓]]三谷）&lt;br /&gt;
*姉&lt;br /&gt;
; 自家&lt;br /&gt;
*[[いとこ]]・妻 伸子（[[旧姓]]姫井）&lt;br /&gt;
:母親は岡山県[[金光町]]議会議長を務めた地方政治家である。&lt;br /&gt;
*長男 [[菅源太郎|源太郎]]（政治運動家）&lt;br /&gt;
:[[衆議院議員]]立候補経験がある。&lt;br /&gt;
*二男&lt;br /&gt;
; 他家&lt;br /&gt;
*いとこ・義兄 [[姫井成]]（開業医）&lt;br /&gt;
:浅口市金光町で開業医を営んでおり、2010年4月の浅口市長選に立候補し自身も3度に渡って応援したものの落選した。これを受け多くのメディアが'''民主退潮'''と報じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 系譜 ===&lt;br /&gt;
; '''菅家（[http://gos.but.jp/kan.htm 菅家系図]、 [http://gos.but.jp/himei.htm 姫井家系図（菅直人夫人の系譜）]、[http://www2.harimaya.com/sengoku/html/mima_kan.html 美作菅党系譜（武家家伝）]、[http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02101.htm 日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 菅原氏【1】]）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
: [[平安時代]]を代表する学者・詩人であり、有能な政治家でもあった[[菅原道真]]（学問の神様）の[[末裔]]を自称（[[仮冒]]）する“[[美作国|美作]]菅家党”とよばれる[[豪族]]が、[[中世]]の岡山県[[勝田郡]]を拠点に活動していた。その一族の有元佐弘の孫・佐常は下神目村に住み菅納左近と称して菅氏の祖となる。菅直人の父祖は代々下神目出身で、その末裔であるという。&lt;br /&gt;
: なお[[江戸時代]]、菅家は[[庄屋]]を務めた[[家柄]]であったといわれ、現在も下神目には菅姓を名乗る何軒かの家があり、その[[家紋]]は[[菅原氏]]の紋の「梅鉢」である。&lt;br /&gt;
: 美作菅家党は有元家を宗家として[[近世]]作州の[[名門]]とされている。しかし菅公の後裔とはしながらも、確実な[[系譜]]はないというのが実状である。&lt;br /&gt;
: 祖父の實は[[開業医]]であり、[[岡山県]][[久米郡]]医師会長、郡会議員等を歴任した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;lt;pre&amp;gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（有元筑後守）　　　　　　　　（菅納左近）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　菅原道真……（中略）……忠勝━祐頼━佐高━佐弘━佐顕━佐常━━━┓&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┃&lt;br /&gt;
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛&lt;br /&gt;
┃&lt;br /&gt;
┗（中略）…利兵衛為重━勘八━利兵衛━善三郎勝重━實太郎重秀━元太郎家重━實忠重━寿雄━直人┳源太郎&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　┗男　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
&amp;lt;/pre&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書 ==&lt;br /&gt;
* 『新・都市土地論』飛鳥新社、1988年12月、ISBN 4870310481&lt;br /&gt;
* 『国会論争「土地政策」』新評論、1992年11月、ISBN 4794801599&lt;br /&gt;
* 『変革の時代』開発社、1995年6月、ISBN 4759100938&lt;br /&gt;
* 『日本大転換 二十一世紀へ希望を手渡すために』光文社、1996年10月、ISBN 4334971261&lt;br /&gt;
* 『民益論 われら官僚主導を排す』（鳩山由紀夫との共著）、PHP研究所、1997年7月、ISBN 4569556426&lt;br /&gt;
* 『大臣』（『岩波新書』）、岩波書店、1998年5月、ISBN 4004305586&lt;br /&gt;
* 『改革政権準備完了 私に賭けてください』光文社、2002年9月、ISBN 4334973582&lt;br /&gt;
* 『総理大臣の器 「菅」対「小泉」マニフェスト対決』幻冬舎、2003年10月、ISBN 4344004051&lt;br /&gt;
* 『政権交代のシナリオ 「新しい日本」をつくるために』（小沢一郎との共著）、PHP研究所、2003年11月、ISBN 4569631908&lt;br /&gt;
* 『菅直人 市民運動から政治闘争へ 90年代の証言 』（[[五百旗頭真]]・[[伊藤元重]]・[[薬師寺克行]]編）、朝日新聞出版、2008年6月 、ISBN 4022504447&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist|3}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 関連書籍 ===&lt;br /&gt;
* 『がんばれ菅直人』板垣英憲著、同文書院、1996年、ISBN 4810373304&lt;br /&gt;
* 『日本変革 菅直人+小沢一郎は政治をどう変えるのか』板垣英憲著、ベストセラーズ、2003年、ISBN 4584159769&lt;br /&gt;
* 『菅直人の一歩 : 薬害エイズ問題でなぜ官僚に勝てたのか?』伊藤雄一郎、ハローケイエンターテインメント、1996年、ISBN 4584182469&lt;br /&gt;
* 『菅直人総理待望論 菅直人政権で日本はこう変わる』木下厚著、あっぷる出版社、ISBN 4871771482&lt;br /&gt;
* 『菅直人は天下を取れるか』山口朝雄著、エール出版社、1998年、ISBN 4753917576&lt;br /&gt;
* 『沖縄の自己決定権』喜納 昌吉 (著) 、未来社、2010年、ISBN-10: 4624301145&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[民主党国会議員一覧]]&lt;br /&gt;
* [[民主党代表]]&lt;br /&gt;
* [[民主党の次の内閣一覧]]&lt;br /&gt;
* [[社会民主連合]]&lt;br /&gt;
* [[新党さきがけ]]&lt;br /&gt;
* [[国のかたち研究会]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[自社さ連立政権]]&lt;br /&gt;
* [[非自民・非共産連立政権]]&lt;br /&gt;
* [[第1次橋本内閣]]&lt;br /&gt;
* [[薬害エイズ事件]]&lt;br /&gt;
* [[社会保険庁]]&lt;br /&gt;
* [[消えた年金問題]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[市川房枝]]&lt;br /&gt;
* [[江田三郎]]&lt;br /&gt;
* [[江田五月]]&lt;br /&gt;
* [[松下圭一]]&lt;br /&gt;
* [[永井陽之助]]&lt;br /&gt;
* [[鳩山由紀夫]]&lt;br /&gt;
* [[小沢一郎]]&lt;br /&gt;
* [[本多平直]]&lt;br /&gt;
* [[笹木竜三]]&lt;br /&gt;
* [[辛光洙]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&lt;br /&gt;
&amp;lt;div style=&amp;quot;float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;&amp;quot;&amp;gt;&lt;br /&gt;
* [[山口県立宇部高等学校]]&lt;br /&gt;
* [[東京都立小山台高等学校]]&lt;br /&gt;
* [[東京工業大学]]&lt;br /&gt;
* [[四国遍路]]&lt;br /&gt;
* [[いとこ婚]]&lt;br /&gt;
&amp;lt;/div&amp;gt;&amp;lt;br style=&amp;quot;clear: left;&amp;quot; /&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://www.n-kan.jp/ 菅直人の公式ウェブサイト]（公式サイト）&lt;br /&gt;
* [http://www.choujintairiku.com/dankai/kan.html 菅直人氏動画メッセージ「団塊世代の第2ステージ」]（[[超人大陸]]）&lt;br /&gt;
* [http://www.dpj.or.jp/ 民主党 web-site]&lt;br /&gt;
* [http://museum.takeshobo.co.jp/houmotsu/up/index.html 麻雀博物館宝物閲覧・菅直人の自動計算機]&lt;br /&gt;
* [http://sports.geocities.jp/goasobidesu/indexkan.html 菅直人さんの大行進]&lt;br /&gt;
* [http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H13/1307/130709kan.html 関連記事]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{start box}}&lt;br /&gt;
{{s-off}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[鳩山由紀夫]]&lt;br /&gt;
| years  = 第94代 : 2010年 -&lt;br /&gt;
| after  = 現職&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[国務大臣]]（[[副総理]]）&lt;br /&gt;
| before = [[久保亘]]&lt;br /&gt;
| years  = 2009年 - 2010年&lt;br /&gt;
| after  = ー&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[財務大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[藤井裕久]]&lt;br /&gt;
| years  = 第13代：2010年&lt;br /&gt;
| after  = [[野田佳彦]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[特命担当大臣]]（[[経済財政政策担当大臣|経済財政政策]]）&lt;br /&gt;
| before = [[林芳正]]&lt;br /&gt;
| years  = 第13代 : 2009年 - 2010年&lt;br /&gt;
| after  = [[荒井聰]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[特命担当大臣]]（科学技術政策）&lt;br /&gt;
| before = [[野田聖子]]&lt;br /&gt;
| years  = 2009年 - 2010年&lt;br /&gt;
| after  = [[川端達夫]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = {{Flagicon|日本}} [[厚生省|厚生大臣]]&lt;br /&gt;
| before = [[森井忠良]]&lt;br /&gt;
| years  = 第80代：1996年&lt;br /&gt;
| after  = [[小泉純一郎]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{s-ppo}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[民主党代表]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&amp;lt;br/&amp;gt;[[鳩山由紀夫]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[鳩山由紀夫]]&lt;br /&gt;
| years  = 初代 : 1998年 - 1999年&amp;lt;br/&amp;gt;第3代 : 2002年 - 2004年&amp;lt;br/&amp;gt;第8代 : 2010年 -&lt;br /&gt;
| after  = [[鳩山由紀夫]]&amp;lt;br/&amp;gt;[[岡田克也]]&amp;lt;br/&amp;gt;現職&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[民主党執行部|民主党代表代行]]&lt;br /&gt;
| before = [[藤井裕久]]&lt;br /&gt;
| years  = 2006年 - 2009年&lt;br /&gt;
| after  = ー&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[民主党執行部|民主党幹事長]]&lt;br /&gt;
| before = [[羽田孜]]&lt;br /&gt;
| years  = 第2代：2000年 - 2002年&lt;br /&gt;
| after  = [[中野寛成]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[民主党執行部|民主党政策調査会長]]&lt;br /&gt;
| before = [[中野寛成]]&lt;br /&gt;
| years  = 第3代：1999年 - 2000年&lt;br /&gt;
| after  = [[岡田克也]]&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{succession box &lt;br /&gt;
| title  = [[民主党代表|（旧）民主党代表]]&lt;br /&gt;
| before = 結成&lt;br /&gt;
| years  = 初・第2代 : 1996年 - 1998年&amp;lt;br/&amp;gt;&amp;lt;small&amp;gt;初代時は[[鳩山由紀夫]]との共同代表制&amp;lt;/small&amp;gt;&lt;br /&gt;
| after  = [[民主党 (日本 1998-)|民主党]]へ&lt;br /&gt;
}}&lt;br /&gt;
{{end box}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{日本国歴代内閣総理大臣&lt;br /&gt;
|当代=[[菅内閣|94]]&lt;br /&gt;
|在任期間=2010年 -&lt;br /&gt;
|前代=[[鳩山由紀夫内閣|93]]&lt;br /&gt;
|前首相名=鳩山由紀夫&lt;br /&gt;
|次代=&lt;br /&gt;
|次首相名=}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{G8の首脳}}&lt;br /&gt;
{{G20の首脳}}&lt;br /&gt;
{{財務大臣}}&lt;br /&gt;
{{厚生労働大臣}}&lt;br /&gt;
{{民主党}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:かんなおと}}&lt;br /&gt;
[[Category:日本の内閣総理大臣]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の閣僚経験者]]&lt;br /&gt;
[[Category:衆議院議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:民主党の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:社会民主連合の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:東京都選出の国会議員]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の法律家]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本左翼]]&lt;br /&gt;
[[Category:法政大学の教員]]&lt;br /&gt;
[[Category:山口県出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1946年生]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>218.222.118.26</name></author>	</entry>

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